恐怖とは何か。その原因と正体、過去の実体験と克服方法。
足立です。
今日は「恐怖とは何か」というテーマから、その原因、正体、それを受け入れる覚悟というものについて書いていきたいと思います。
前置きから結論までが少々長いですが、あなたの人生にとって決して「マイナスにはならない話」かと。
よろしければお付き合いください。
恐怖、恐怖感とは何なのか。
恐怖や不安から解放されるとしなたら、それは一体どんな気分なのでしょうか。僕のこれまでの人生を振り返ってみると、不安と恐怖が常につきまとっていたという事に嫌でも気付かされます。
こんな不安感や恐怖感はいつ始まったのか。
例えば小学1年生の時から始まったこんな恐怖感があります。
真夜中に目が覚めると強烈な孤独感を感じた僕。
あまりにも寂しくて恐怖感に全身が包まれて、消えて無くなりたいような気分になってしまったのでした。
僕は、あまりにも怖いので近くで寝ていた母を揺すり起こしこう言った。
「怖い。」
すると母はこう言いました。
「怖い夢を見ただけでしょ、早く寝なさい。」
そういって、そのまま母は寝てしまいました。
しかし、あまりの恐怖に僕の小さな身体は震え出してしまいました。
母の枕元で両膝を付いてその両膝を両手でギュッと掴んだまま、その正体の分からない恐怖感が去るのをひたすら耐え続けたのです。
結局周りが薄らと明るくなるまでの数時間、小学校1年生の僕はずっとその恐怖感と戦い続けていました。
明るくなってくると徐々に恐怖感が薄れていき、完全に消え去るとやっと少しだけ眠る事ができたのです。
しかし、その「恐怖」はその後もしばらく続いたのです。
・・・そしてその「恐怖」はその後30年以上も続きました。
正体不明のその「恐怖」は、酷い時期には毎週のように僕を容赦なく襲って来たのです。
母を起こしても取りあってもらえないので、震える身体とガチガチと歯の当たる歯を食いしばってひたすら耐えるしかりませんでした。
症状が消えたかと思うと、忘れた頃にまたやって来ては僕をどん底まで陥れては去って行きました。
その恐怖感に包まれている時、その恐怖からはどうにか逃げたいと思っている僕がいました。
僕はそんな「恐怖」を完全に「否定的な存在」として扱っていたのです。
そんな恐怖の根を根絶するにはどうしたら良いか。
僕はそんな自問自答を繰り返し続けてきたのです。
恐怖の原因
僕のこの正体不明の恐怖感は、20才を過ぎても続いていました。時、数年間何も起こらない時期もありましたので、その時はもうその「恐怖」が無くなったと思っていた事もありました。
ただ僕は自分がパニック障害になった事がキッカケで、この恐怖が何で起こっているのかを初めて疑問に思い、自分なりに勉強をし始めたのです。
恐怖の事に関して書かれた本を何冊か読んでみると、それぞれの本の中でしている主張の中に、ある共通点に気が付きました。
“恐怖は自分の中にある、自分自身である。”
それは、恐怖は自分以外のどこか別の何かだと思っていた僕には、目からウロコのインパクトを受けました。
恐怖は自分自身の中にある。
僕は、その共通点に思いのほか納得しました。
またその勉強を10年以上続けていくうちに、とても興味深い事が分かってきたのです。
その正体不明の恐怖感は『過去に感じた恐怖感情を、あたかも何も感じていないように否定してしまった事が原因で起こる。』という事です。
これは、正体不明の悲しみや不安や緊張なども同じなのだそうです。
例えば僕自身の事例で言うと、あの正体不明の恐怖感の原因は、幼馴染の「しげちゃん」の“死”が原因でした。
それは僕が小学1年生だったある土曜日の事です。
幼馴染のしげちゃんのお母さんからの電話。
電話に出た母が一言二言話すと突然泣き崩れました。
それはしげちゃんが闘病中だった白血病で死んでしまったという、しげちゃんのお母さんからの電話だったのです。
電話を切った母は、僕のところに来て言いました。
「驚かないでね、、、しげちゃん死んじゃったんだって!」
そう言って、母は僕に抱き付いて号泣し始めてしまいました。
ただ小学1年生だった僕にはどうして良いか分かりませんでした。
僕自身も泣きたい気分だったからです。
しかしいつも強い母のそんな姿を見て、僕はとても不安になり動揺して頭の中がパニックになってしまったのです。
それでも『僕がしっかりしなきゃいけないんだ。』と思い、動揺して泣き出したい気分を堪え、観ていたテレビ番組“赤影参上”のストーリーを僕は一生懸命母に話しました。
話す事で『僕は平気で冷静だし何も怖く無いよ。』というふうに装ったのです。
しかし、この感情の抑圧がのちに溢れ出す原因を、まさに「この時」作ってしまったのでした。
・・・ちなみにこの時の話は、地元のラジオ局がこの実話をラジオドラマにしてくれました。
匿名希望での投稿なので僕の苗字である「足立」は「秋山」。
しげちゃんの苗字の「津谷」という苗字も「吉川」という違う苗字になってラジオ番組内で放送されたのです。
後にそのコーナーが終了する最後の日のリクエストデーでも、たくさんの人からリクエストがあり、そのラジオドラマは再び再放送されたのでした。
これがそのラジオ音声になりますが、これは実際に僕が体験した「実話」だという事です。
8分くらいのラジオドラマですので興味のあれば、聞いてみてください。
恐怖の正体
正体不明の恐怖感の多くは過去に何かしらの恐怖体験をしている最中に『怖いという気持ちに蓋をしてしまって何も感じていないように装ってしまった事』があると、抑圧されて心の奥底に閉じ込められてしまった当時の感情たちが「自分の存在を認めて欲しい」とその時の気分のまま顔を出すのだそうです。立ち向かうべきはずだった何かから逃げ出した僕のような場合、まさに「正体不明の恐怖感」として現れます。
抑え込んでしまった“その時に感じるはずだった感情”が、「気づいて欲しい」と暴れ出すのです。
僕はそれまで数十年間、この正体不明の恐怖に悩み続けていましたので、この事を知った時は「何となくその辺に秘密が隠されているんだろう」とも思っていました。
そして、この事に気が付いた事で「なるほど」と心から納得して、何故か「ホッ」としたのでした。
また、僕にはその「正体不明の恐怖」の他に「正体不明の不安感」や「孤独感」もあったのですが、この「恐怖の正体を知る」という事がキッカケとなって、それまでの「否定的な感情を排除しようとしていた行為」を、全く逆の方向からアプローチ出来るようになりました。
結果として、その多くは一気に解決の方向へと進んでいくようになったのです。
勿論、それらは全てすぐに解決した訳では無いのですが、自分なりに「何をしていけば良いのか」が分かった為、心の中にどこか安心感のようなものが生まれたのでした。
ただどちらにしても、その解決には「それを受け入れる覚悟」が必要でありました、
次はその「覚悟」が課題となっていったのです。
恐怖と向き合う事を覚悟
そして僕は、あの恐怖感が起きた時に、今までとは明らかに違うアプローチをとってみようと試みました。ただ実際にあの「恐怖」を目の前にしてしまうと、長年の習慣から萎縮して身体に力が入ってしまい、また怖くて仕方がなくなってしまったのでした。
どうすれば良いのかを学んだはずだったのに、結局どうすることもできなかったのです。
『言うは易し行うは難し。』
この言葉は「まさに」であると、心から痛感させられました。
その恐怖を目の前にすると、僕は小学1年生の当時の僕になっているような感覚に陥ってしまうのです。
それでも僕は、その次もその次も同じ事を試みていきました。
すると徐々に「何か」が分かってきたのです。
ただ、それは頭で分かっていても、実際に体験してみなければ絶対に分からない事だったと思います。
今までは、怖い怖い、嫌だ嫌だ、早く消えろ、、、とひたすら身体を強ばらせながら思っていたのに対し、段々と身体の感覚に身を任せ「感じるまま」にその恐怖感の中に入っていけるようになったのです。
文章として書くと、何と簡単に出来そうな感じの事ですが、これを実際に行うには物凄い覚悟が必要でした。
それはまさに「今まで体験した事の無い世界」に足を踏み入れるようなもの。
怖いに決まっています。
どうなるのかさえ、分からないのですから。
理屈では分かっていても、本当にそれが正しい事なのかどうかさえ分からず、結局は実際にやってみないと分からない・・・。
でも、その体験をしようとする、その時はまさに強烈な恐怖が僕の中を駆け巡るのです。
ただ最終的には『もう、どうなってもいい』と覚悟を決めたのでした。
このままでは一生、正体不明の恐怖体験が続く、それでも良いのか?とひたすら自問し続け、その想いを固めていったのでした。
そして、初めてその恐怖を「感じ切った」のです。
するとその先には何とも不思議な感覚があり、今までの強烈な恐怖感がス~っと嘘のように消えていったのでした。
それは僕のその後の人生を大きく変える非常に貴重な体験だったと思います。
恐怖は別のどこかから来るのではなく、自分の中にある「過去の自分の感じるべき感情」だったのです。
恐怖を受け入れる覚悟
僕の今回の話に出てくる「恐怖」は「トラウマ」とも呼ばれる大きくて強烈な恐怖の事を言うそうです。しかし、日常で起こる小さな正体不明の恐怖も無数にあると思います。
僕はまず大玉の大将を見つけて仲良くなったわけですが、正体不明の小さな恐怖もたくさんあります。
この日常の恐怖に対しても、結局やる事は一緒で恐怖を否定せず、肯定し受け入れるという事ができると、その恐怖も存在を分かってもらうための恐怖感情を起こす必要がなくなっていき、やがて自分の中に統合されていきます。
原因は同じで、小さな恐怖でも過去に抑圧した恐怖感情が存在を分かってもらいたくて起こっているようなのです。
不安も恐怖も悲しみも「その感情」を認め、それらを感じ切って受け入れる覚悟が必要だという事。
ただ「恐怖」は誰だって「怖いもの」です。
だからこそ、それを受け入れる「覚悟」はなかなか出来るものではありません。
僕も最初はそれを受け入れる覚悟を決めるまでに相当時間がかかりました。
それでも完全に全ての恐怖を乗り越えた人間になれているわけでは無いのです。
だからこそ、この事について人にアドバイスなどは到底出来るレベルではありません。
その覚悟を決めて恐怖を受け入れるという事を完全にマスターした訳ではありませんし、それを押し付ける事による責任も僕には全く取れません。
これはあくまでも僕の体験談というだけの話です。
恐怖がもたらす「価値」あるもの。
このブログで恐怖を題材にするのであれば、その恐怖をどう今後の自分に役立てていくのか?という所にまでもっていき末広がりで終結したいと思います。恐怖を味方にしたら、自分の心や雰囲気にどう変化が起こるでしょうか。
人としての全体のバランスは、一体どんな風に変わるでしょうか。
それは「勇気のある人を見てどう感じるのか」を考えると、それを何となく感じる事が出来るのではないかと思います。
間違っても「カッコ悪いバランスの人」にはならないと思います。
ただ人間は生まれて生きていくうちに色々なトラウマができるものです。
それでもその「恐怖」をただの「恐怖」として終わらせてしまったなら、その人生が余りにも勿体ないものになってしまう気がします。
つまり「恐怖」は決して排除するだけの物ではなく、自分が自分自身を受け入れる事と同様に「その恐怖感そのものも自分自身である」として、真っ直ぐに受け入れていくべきものなのではないでしょうか。
それならば、いっその事、その「恐怖」を味方にしてしまい、今まではその「恐怖」で出来なかった事にチャレンジしていく自分になってみてはどうかと思います
受け入れられない恐怖は人の「やる気」を奪い、本当にやりたい事が出来なくさせてしまいます。
そしてその行動範囲を小さくしてしまうのです。
その恐怖というものが、気づかないうちに慢性的な自信喪失にも繋がってしまうという事。
ただ一端こうなってしまうと、その自信喪失の原因が何であるさえも分からず、ただただ行動範囲だけがどんどん小さくなってしまいます。
実際にそういう人が世の中にはたくさんいると思います。
実はこの僕自身が長年の間、まさにそうだったのです。
それでも僕は、そんな自分の原因を何年もかけて探り当て、なんとかその自信喪失を克服したいと思い、その自答自問をひたすら繰り返してきました。
『自信喪失の悪循環を破壊するために何をすればいいのか。』
そして僕は「持っている自信以上の行動をすること」を心がけると、それがより大きな成果に繋がっていく事に気が付きました。
勿論それは非常に怖くてリスクがある事です。
恐怖であり、不安でたまらない事です。
ただそれは誰もが感じること。
自信満々に生きている人、人に認められる結果を出し続けているような人達は、必ずどこかでそのリスクを背負い、挑戦し、冒険してきているのです。
その行動が成功すれば、それは「最高の自信」になり、仮に失敗したとしても、リスクに賭けた自分を嫌いになる事は無いと思います。
それが「経験」というものだからです。
自信の量で行動を制限するのではなく、自信+αで「リスク」を取って行動していく。
それだけで一気に世界が開ける事もあると思います。
失敗の恐怖を恐れず、行動を起こしていく事。
それがあなた自身の「自信」と「結果」に繋がっていくはずです。
まだ見ぬ「新しい自分」を探して、リスクを恐れず前進あるのみです。
Hiroshi Adachi
パニック障害に悩む「あなた」へ。
僕は約3年間の「地獄の日々」を乗り越えて、薬に頼らずにパニック障害を克服した経験を持っています。もしも今、あなたがパニック障害に悩まされているのなら「薬を飲まずにパニック障害を克服した」という経験のある僕の体験談に耳を貸して頂ければ、少しは何かの役に立つきっかけが掴めるかもしれません。
同じ苦しみを味わった人でなければ分からない事だからこそ、僕は自分のその体験と経験から得たものを記事にして公開しています。
あなたの悩みを解消するヒントをこちらから得て頂ければ、僕が味わったあの地獄のような3年間も「あなたのような人を救う事に繋がった」と思う事が出来ます。
その頃の僕自身に宛てて書いている記事でもありますので、よろしければ是非お付き合い頂ければと思います。
>パニック障害の悩みを抱える人。薬に頼らない治療、克服を本気で考えたい人へ
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タグ:恐怖とは
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