タカアンドトシのタカさんが車椅子で番組出演。全く関係ないけどふと思ったこと。

足立です。


先日、お笑い芸人タカアンドトシのタカさんが車椅子で番組に出演していた事から、何故かその事がネットなどでも話題になっているみたいです。


正直タカアンドトシ、タカさんの一件とは全く関係の無い話なのですが僕は以前から車椅子について、ふと考えている事がありました。


例えば車椅子を寄付するというような場合、よく聞く話が「ベルマークをたくさん集めて車椅子と交換する」というようなもの。


これはとても良い事だと思うのですがそこで僕がふと思う事は「大事なのは車椅子の数ではないんじゃないか。」という事です。


車椅子の寄付によって車椅子の数が増える事は素晴らしい。


でもそれ以上に大事な事があるんじゃないかと僕なりに思うことがあるんですね。


今日はそこら辺に焦点を当てて記事にしておこうと思います。


未来の自分自身の考えがブレないようにという意味も込めて。

車椅子の数が増える事より大切だと思う事。

車椅子の数が増える事より大切だと思う事。


それは、車椅子を押す人の数が大事なのでは無いだろうか?という事です。


どんなにたくさんの車椅子を贈っても、そこには「責任感」が生まれないんじゃないかと僕は思います。


贈ったらそれでお終い。


確かにそれでめでたく贈った側の自己満足は達成されます。


「いや~いい事をした。」と。


だけど、その車椅子を押す人というのはそこに「責任」が伴います。


そして責任を伴うという事はその責任を背負う「覚悟」が必要だということになります。


車椅子の数が増えても、その責任を背負い、覚悟を決めて車椅子を押してくれる人の数が増えない事には何の意味も無い。


車椅子の寄付という話を耳にして私はふとそんな事を考えるようになりました。


「え?そうなの?車椅子を押す人ってたくさん居るんじゃないの?」


もしもあなたがそう思ったなら、是非自問自答してみてください。


今まで、本当に車椅子を必要としている人の車椅子を押した事があるかどうか。


「あるよ。」というなら、さらに自問をしてみてください。


その車椅子に乗っていた人はもう車椅子が必要なくなって、自分の足で立つことができるようになったのかどうか。


本当に車椅子を必要としているような人は骨折のよ0うなレベルでの、一時的に車椅子に乗っているような人ではありません。


誤解を恐れず言うなら「一生、車椅子を必要とする人」こそが本当に車椅子を、としてその車椅子を押してくれる人を必要としている人だと思います。


そして「車椅子を押す人」というのは、当然、自分の都合のいい時だけ押す人という意味ではありません。


車椅子に乗る人が“押す人が必要な時”にいつも、それを押してあげられる人の事をいうのだと思います。



ただそこには先ほどもお伝えしてように「責任」が伴うだけでなく「覚悟」も必要になります。


だからこそ、僕は車椅子の数よりも車椅子を押す人の数が重要なんじゃないかと思うんです。


それでも「自分の都合のいい時だけ車椅子を押す人」の何が悪いというわけではありません。


押さない人より押す人。押さないよりも押す事が重要だと思うからです。


それはほんのその一瞬の事だとしても、ゼロより1の方が良い。その1が集まれば2になり3にもなるからです。


でも、、、最後に「身も蓋もない事」をあえて書いておきたいと思います。


実はこれが一番肝心な事かも知れないと思うから。


車椅子について、身も蓋も話。

車椅子に乗る人は「車椅子を押してもらう事」を前提にしてはいけない。


僕はそう思っている部分もあります。


車椅子を押す人というのは覚悟を持って車椅子を押し、その行為に責任を持たなければいけません。


ただ車椅子に乗る人も、自分一人でいつも車椅子を前に進めるという覚悟を持って生きていかなければならない。。。そう思うのは、五体満足な人間の怠慢な考えでしょうか。


勿論、これは車椅子を必要としている人に「甘えを無くせ」と言っているのではありません。


双方がどちらも自らに責任があるという覚悟を持って、一つの方向に向かう事。


そこには依存の無い自律した清々しい関係性が生まれるのでは無いかと思うんです。


医者が、医者が要らなくなるように、患者が二度と医者に頼る事なく病の根絶を願って治療にあたる先生が居たら、そんな先生の元で治療を受けて見たくなるのは僕だけでしょうか。


そこには医者ではなく「人」として「人間」としての本質の触れ合いができのではないか。


僕はそういう考えを持っています。


そして患者側もまた「先生の治療法がダメだから治らない。」という考えではなく「病気になったのは自分の今までの生き方が間違っていたからなんだ。」という自己責任の元で、先生に自分の知らない医療の知恵を貸しもらう。


そんな心構えで治療に臨む事ができれば、人と人の関係性が美しいものになるのではないかと僕は思います。


親が子供に何を思って育てる事が子育ての本質なのか。


そう問われれば、僕は「親である自分が居なくても生きていけるように育てる事」と答えます。


親は子供より早くこの世を去るものです。


だからこそその時に子供が自立した生き方をする事ができなければ、その後の苦労はとてもハードな計り知れないものになってしまいます。


いつ、自分たちがこの世を去ってもいいように子供には自分で生きて行く力を付けさせておかなければ、親は死ぬ間際まで子共の事を心配していなければなりません。


それと同じ事が、車椅子に乗る人にも掠め見ることができないか。


僕はふとそう思いました。


人に頼ることも必要な時があると思います。


でも、まず大前提として人に頼らず、自立して自律した生き方をするという覚悟が要るのでは無いでしょうか。


それこそが自分の人生を、よりリアルに実感のあるものにする唯一の生き方では無いかと思います。


そしてこれは物事を教える側、教わる側におけるビジネスの世界でも同じ事が言えますね。


いつまでも「教えてもらう側の姿勢」ではいつまでたっても自立は出来ないという事です。


ビジネスについての情報を発信する者として僕はそういう「心構え」と「覚悟」で情報を発信していっています。


教えられる側から自立し、良きビジネスパートナーになっていけるような人を一人でも増やせれば、僕のビジネスはもっともっとうまくいく。


そう思っているわけですね。


うまくまとめられたかは微妙なところですが、車椅子についてから色々と考えを巡らせていった僕なりの「人と人との繋がりについての考え」でした。


それではまた。


Hiroshi Adachi


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中学中退という異例の経歴を持つ「小卒社長」。2000年にバリ島家具のフルオーダー専門店ROBIN、2004年にCANDy BLOODを開業。同時にインターネットマーケティングを学び各リアル店舗事業を成功させる。
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