小卒が社長になるまで。序章~第一章「教護院生活」/足立博ヒストリー

足立博ヒストリー~小卒が社長になるまで~ 序章

初めてのパニック障害の発作から、生き地獄を三年半彷徨い、その間、たくさん居た友達は1人去り2人去り、やがて僕は独りになった。


どうしても、パニック障害の事は誰にも知られたくなかった。


当時、パニック障害という病名が今のように多くの人には知られていない病気だったので、この事を知った友達が怖がって僕の元から去ってしまう事を恐れての事だった。


しかし、現実は友達が居なくなった。


それは僕がパニック障害になったからではなく、僕自身がこの病気になった事を知られないように友達からの誘いを毎日すべて断っていた結果だった。


誘われても誘われても断っていたので『友達付き合いが急に悪くなった』という事での結末だったのだ。


毎日起こるパニック発作の中、孤独と不安の生活はその後3年半続いた。


毎日、強烈な恐怖感で夜中にうなされて大声を上げて飛び起きた事もある。


熟睡する事ができなくて、目は虚ろ、68キロあった体重も55キロまで落ちた。


誰とも話さない日が続き、辛さの中、“俺は何のために生きているのか?”とどん底に闇の世界を彷徨った。


『今日1日ゆっくり眠ったら明日死のう』


真剣にそんな事を考えた日もあった。


いつまでこんな毎日が続くんだろうといつも思っていた。


『明日まで?いや、そんなはずはない。1ヶ月先まで?、、、それもないだろう、、、』


ゴールの無い人生ゲームを、たった独りでやっているような気分だった。


これは、僕を“永遠の孤独に陥れるためのピンチなのか、それとも新しい人生を切り開くために仕組まれたチャンスなのか。


だが、地獄の日々を何とかギリギリでおくり、それだけでなく友達という大きなものを失った僕は、それに見合ったものをその後間もなく、手に入れる事になる。


どうせ独りになったなら、僕が何も知らない、誰も僕の事を知らない世界に飛び込びこんで、今までのすべてを変えたい、、、壊れたなら、壊れたままの俺で走ってやる!


、、、という気持ちに、なかなかなれず苦しんだ日々。


そんなある日の夕方、僕の人生を変える転機が訪れたのだった。


その転機が訪れた後、ある点と点が結び付き1つの線になった。


誰にも相談する事なく、独りバリ島に渡った。


何も知らない世界の中、何をしていいのか分からず、初日の夕方には自分の考えの甘さに『俺はなんてバカげた事をしているんだ?これは間違っている』と不安になった。


日本に戻ろうと考える弱い“今までの僕”が何度も顔を覗かせた。


だが、その都度『このままの俺でいいのか?』と自問を繰り返した。


答えは『絶対にイヤだ!』だった。


そして、ある人との出会いで僕のこの度は一変した。


目の前にハッキリとした道が鮮明に見え始めた。


その三ヶ月後、僕はバリ島家具専門店をオープンさせたのだ。


その後の人生の中にも、そういう時、必ず僕を助けてくれる人物が現れた。


この時にはまだ気づいていない誰にでも起こせる、


ある秘訣があったのだ。


この波瀾万丈な、オープンまでの道のりは、今思っても不思議な出会いと、目に見えない力に導かれて成し遂げられたストーリー。


でも今は、その奇跡のような事が、“なぜ僕の身に起こったのか”それが、その後、徐々に分かってきた。


それを解き明かすヒントや気づきを書き記しながら、かつての僕のような、言い訳ばかりしていて、行動できない人たちの心に火を点ける事ができれば、と願いこの記事を書く事にした。


中学3年の時に中学校を中退した僕が学んだ一番大切な事。


それは言い訳せず黙って行動する事。


パニック障害になり、誰よりも臆病な僕でも出来たのだから、あなたに出来ないはずは無い。


【第一章/教護院生活】見えない未来

中学1年生の3学期頃から、僕は学校に行かない登校拒否の問題児だった。


同級生たちが子供っぽく見え、勉強をする意味がまったく理解できなかった。


悪さをしては何度も警察のお世話になり、家庭裁判所からも呼び出された。


中学2年の時には中学校ではなく児童相談所に毎週木曜日だけ通った。


そこで「将来の夢は?」と聞かれた事があったが、思いつかず返事に困った。


答えが出せない事が恥ずかしくて、その当時ハマっていたラジコンの事を思い出し、こう答えた。


「ラジコンを作る人」


この時、“将来、俺はどうなるんだろう?”と、将来の事を初めて考えて不安になった。


ラジコンを作りたい訳でもないのに、そう答えてしまった自分。


『ツッパっていても、結局まだまだ子供なんだ。』という事に気づいてしまった。


『将来の夢って、みんないつ考えているんだろう?』自分だけが独り孤立して、取り残された気分で孤独を感じた。


将来の夢について、誰も教えてくれない。


地元中学の生活指導の先生や担任が、何度も家に来ては


「今のままでは、登校日数が足りないから中学3年にはなれない」


と、僕を中学校に来るように説得しようとしたが、僕の心は閉ざされたまま決してその扉を開こうとはしなかった。


でも、『このままではダメだ』という事は僕自身、実は理解していた。


しかし、反抗期が絶頂だったため、反抗心がその邪魔をした。


『大人の言いなりには絶対にならない』と反抗心むき出しだった。


そして、最終手段で大人たちは僕に脅しを仕掛けてきた。


全寮制の更生施設である教護院に僕を入れるしかもう道は残されていない、という話を最後の切り札に宣戦布告して来た。


そうすれば、僕が言う事を聞くと思っての事だった。


しかし、『大人の言いなりには絶対にならない』と決めていた僕には、この作戦は逆効果だった。


僕は教護院行きの話を受け入れたのだった。


親達の意図する逆の方へと進む事こそが、自立心と勘違いし『これで自立した大人になれる』という気がした。


親達は今度は慌てて僕を引き止めにかかったが、一度口に出したら聞かない頑固な僕は聞く耳を持たなかった。


「お前たちがここに入れると言い出したんだろ!」と、1歩も引かなかった。


大人たちの安易な誘導作戦は未遂に終わり、誰もが望まない方向へと僕の人生はそこで大きく方位を変えて進む事になった。


だが、教護院に入る日が近づくと、僕は不安になり、やっぱり入るのを止めようかと考え出した。


聞くところによると、犯罪を犯した不良中学生たちがその更生施設に一杯居て、とてもスパルタな教育のプログラムの元で毎日、規則正しく生活しているという事だった。


地元では悪ぶってツッパっていても、本物の悪がたくさん居る教護院。


『大丈夫?俺、、、。』


でも、今更後には退けない。


入ってみてイヤだったらすぐに出ればいいか・・・。


とりあえず格好がつかないから1度行くしか無いか。


僕はそう思った。


更生施設「教護院」

当日の朝、母親と中学の担任と一緒に児童相談所の先生の運転する車に乗って教護院に向かった。


車内は大人たちだけが教護院の話をしていた。


僕は当時、児童相談所の先生以外、親と先生とは口を利かない姿勢を貫いていたので、話しかけられても無視した。


途中、ふと『今度、この道を通る時はいつになるだろう?』と考えていた。


教護院は、大きな敷地内に運動場も学校もある開放的で綺麗な所だった。


『なに、なに~、普通の中学校と同じ感じじゃないの?心配しちゃった。教護院って刑務所みたいな所だと思ってたよ。良かった!』


と、内心ホッとした僕の心はその後、一変する事になる。


教護院の院長先生の一通りの説明が終わると、いよいよ僕の寝泊まりする寮に案内された。


僕が入る寮は第5寮という、敷地内の学校から歩いて2分ほどの場所にある周りが山に囲まれた寮だった。


全部で8つの寮からなる施設で、各寮には8人から10人の中学生が親元を離れ生活していて、それぞれ寮長先生家族が一緒に住んでいた。


5寮の寮長先生はI先生とその奥さんと2才の可愛い息子さんの3人家族だった。


僕たちが学校から5寮に着いたちょうどその時だった。


後ろからゾロゾロと10人くらいの人たちがゆっくりと歩いて来た。


その集団は5寮に戻って来る寮生達だったが、その姿を見た瞬間僕の背筋が凍った。


僕を連れて来た地元中学の担任と、僕の母の驚いた顔を見ると、どうやら僕と同様、背筋が凍っているようだった。


「お前ら!挨拶せんか!」


と、いうドスの利いた寮長先生の声で僕たちは我に返った。


5寮の寮生たちは僕たちの横を通り過ぎる時に、「こんちわ」と、睨みながら無愛想に、新入りの僕にわざわざ挨拶をして下さった、、、。


「こ、こんにちは。」


蚊の鳴くような声とは、この事だろうというくらい小さな声を怯えて出すと、僕はすぐさま神様に祈りを捧げた、、、


『神様!今まですいませんでした!僕、まじめになって、ちゃんと学校に行きますから、ここから帰らせて下さい!ここへ置いてかないで下さい!』


と、生まれて初めて神様を信じようと思った瞬間だった。


寮生たちの姿を表現すると『暴力団組員さんかな?』と思えるような、坊主頭に恐ろしい目つき。


中学生とはまったく思えない風貌。


そんな彼らの共通点もすぐに2つも見つける事ができた。


“鬼のように角度の付いた1ミリくらいの細い眉毛と、鋭い剃り込みが入っているという所”だ。


これが早押しクイズだったら1番に答えれただろう。


眉毛も剃り込みも『どうやってそんな風にキレイに剃ってるの?』というくらい綺麗に剃ってある。


のちのち分かったのだが、洗濯バサミで 1本ずつ摘んで抜いていたのだった。


『絶対にあなたたち“悪い”でしょ?』という本物たちの匂いがした。


『、、、しまった、こんな所に何で行くなんて言っちゃったんだ、、、俺のバカ!』


心の中で叫んでみてももう遅い。


僕は、この時すでにすぐにココから出してもらおうと決めていた。


簡単に出れると真剣に思っていたのだったが、そんな生易しいルールはここには存在していなかった、、、。


教護院のボス

児童相談所の先生と担任と母親が帰ると、それまで味わった事の無い強烈な不安感と緊張感を味わった。


寮長先生が寮生に「今日から入る事になった足立だ。みんな頼んだぞ。」とだけ言って、サッサと自分の住む寮長先生宅のドアを開けて入って行ってしまった。


僕は耳を疑った。


『おいおい、もっとあるでしょ、紹介の仕方って。みんなと仲良くなるように取り持ってくれたりしないの?僕、初めてなのよココ。もっと優しく丁寧にしてくれないの?』


と僕は思ったが、どうやらここは今までの僕の知っている生活スタイルとは明らかに違っていた。


寮生たちは、相も変わらず鬼のような目つきで、こちらをジロッと、、、あれ?見ては居ない、、、やばいぞこれは、、、睨まれる訳でもなく完全に無視だ。


無視が一番どうしていいか分からない。


僕はどうしたらいいのか、“ここでの正解は何か”を探っていたが、見つかるはずもなく時間だけが過ぎて行った。


『俺って、どうすれば正解なの?俺からの自己紹介をみんな待ってるの?』


色々と頭の中を駆け巡ったが、蛇に睨まれたカエルのようなその雰囲気で僕は何もする事はできないまま20分くらいが過ぎた頃だった。


「足立君、はい、これ食べる?」と一人の背の低い明らかに僕よりも年下の子がアメをくれた。


僕は本当に救われた気がして嬉しかった。


「ありがとう」アメ玉を受け取ると、すぐに続けた。


「I君がこっち来てって。」と寮の部屋の奥へと目をやった。


そこにはこの寮で一番悪そうな怖い顔が、ライオンのような目つきでこちらをジーッと見ていた。


『あ、あの人って、人間食べたりする?』


それだけを聞いておきたかったが、アメ玉をくれた少年は役割を果たすと、もうスタスタと行ってしまった。


僕は勇気を振り絞ってそのライオンの居る暗黒地帯へと歩いて行った。


武器を持たず、ライオンの檻の中に入っていくような気分だった。


アメちゃんをもらって、救いの救世主から手が差し伸べられた、と思った矢先だったので恐怖感が2、5倍増しになった。


暗黒地帯のライオンの巣に行くと、そこに居たI君は俺に座るように無言で椅子を指差した。


『何されるんだろう?イヤだなぁ、、、怖いなぁ、、、』


心臓の脈打つ音が、周りに聞こえるんじゃないか、ってくらい大きな音が激しく脈打っていた。


僕が恐る恐る椅子に座るとI君が言った。


「何をやって入って来た?」意表をつく質問に戸惑った。


僕はこの何気ない質問にとても悩んだ。


それはここに入って来る理由はそれぞれだという事を知っていたが、僕がここに来た一番の理由は登校拒否、格好悪すぎる、、、。


何度か悪さをして警察に補導されたが、それが原因でここに入った訳ではない。


なめられるかもしれないと思った。


でも僕は正直に答える事にした。


「登校拒否。」するとI君が『え???』というような顔をして言った。


「ウソつけ。その顔は悪の顔だ。何やった?、、、薬か?売人か?傷害か?」


まるで僕を何かの犯人扱いのようだったが、僕はその時、I君の口調や顔つきから、


『この人と仲良くなれる』


と直感していた。


初日のうちに、I君とその周りの寮生たちと仲良くなった。


窃盗や泥棒、シンナーや覚せい剤などの薬物、そして傷害や恐喝、強盗など様々な理由でココに入れられた寮生たちも、よく見るとまだあどけない少年達だった。


僕はすぐにI君にため口で話すような関係になったが、I君は笑って許してくれた。


僕の他にI君にため口を話す奴なんて誰も居なかった。


それくらいI君はみんなから一目置かれ、恐れられていたからだった。


他の子たちも、一見すると怖いが、みんな本当に優しくて楽しい寮生たちだった。


『良かった。これでひとつ不安が消えた。』


どんな世界も、トップに君臨している人と仲良くなると事はスムーズに運ぶ。


人は偽り無く正直な感情の持ち主に惹き付けられるようだ。


裏表のある人はその雰囲気がどこかでバレてしまうだろう。


教護院、脱走の誘い

教護院生活は、厳しいルールの元、毎日の生活が繰り返された。


それまでのダラダラした生活と違い、軍隊のようで慣れるまでは、とても辛く厳しい環境だと感じた。


僕はその施設に入ってから、まる4日間一睡もする事ができなかった。


中学2年で初めての経験だらけで、緊張していからだった。


夜は毎日布団の中で地元の友達たちの事や自分がそれまでして来た事をひたすら内省し、自分の問題点にイヤでも気づかされた。


『こんな環境に身を置かなければ、自分自身を見つめる事は無かっただろうな。』


と、感じた。それまでは教護院に入る事がマイナスの事だと思っていたが、客観的に自分を見るまたと無いチャンスでもあった。


昔ながらの壁掛け時計のハトが1時間ごとに勢いよく飛び出すたび、『みんなはよくこれで寝ていられるな』と変に感心し内省を繰り返した。


すると夜中の1時を回る頃と明け方の4時頃の2回、寮長先生が懐中電灯を照らしながら見回りに来た。


この施設では入って来て早々脱走する子が多いこの施設では、新しい寮生が入ると1ヶ月間ほどこの見回りが繰り返されるのだ。


実際、僕と同じ日に別の寮に入ったK君という子に、「一緒に逃げよう。俺、お金持って来てるからさぁ!」と、初日に学校内で誘われた。


「なに!?逃げる?」と、とても驚いた。


僕は、その言葉に揺らぐ事無く断ったが、ここでは寮生が脱走する事は珍しくなかった。


僕の居た期間にも何人かが脱走した。


このK君もその1ヶ月後に脱走したが、逃げてから1週間足らずで捕まって顔を腫らして舞い戻って来た。


逃げても必ず1週間ほどで捕まって戻ってきた。


中には脱走して車を盗んで事故を起こし少年院に送られた子も居た。


脱走する事をなぜかここでは『トンコ』と言った。


「○寮の○○が昨日トンコしたらしいってよ。」という会話は何度も聞いた。


でも、逃げ切った者は誰一人としていなかった。


それはそうだろう、たかが中学生が逃げても行く所は脱走した者の地元に決まっている。


必ず地元で捕まっては舞い戻り、出られる刑期が延びるだけでなく、きついお仕置きが待っていた。


作業服に着替え足には靴ではなく逃げられないようにゾウリを履かされ、戻った日から2週間一人だけ別メニュー。


みんなが授業を受けている間中、全校生徒から丸見えの運動場の朝礼台の前でひたすらスクワット。


しかも、一番怖い先生が竹刀を持って目の前にずっと立っている。


絶対にさぼれないのだった。


竹刀は見せかけでなく、怠けると本気でそれを振り下ろす。


何度も何度もその現場を見て、僕はまったく動じなくなり叩かれる奴が悪いのだと同情すらしないようになっていった。


寮長先生の照らす懐中電灯の光に、僕は毎回寝たフリをして、それをやり過ごした。


寮長先生は僕が逃げていないか、夜中に2回も起きては見回りに来てくれる。


それが何とも心地よく、守られている安心感があった。


教護院は僕の知るどんな場所よりも厳しい所だが、どこよりも愛情が感じられる場所でもあった。


教護院で2度泣いた1日

それでも教護院生活で2度泣いた事がある。


しかも同じ日に、、、。


入りたての頃の事、教護院の野球部に入ってハードな練習で、それまでダラダラした生活をしてきた僕は身体が鈍っていたのか練習中に倒れて保健室に運び込まれた。


ベッドで横になり休んでいると、保健室の先生が声をかけてくれた。


「足立君、どう?ここの生活、もう慣れた?」髪の長い30才くらいの女の先生で、その言葉がその時の僕の心にジーンと響いた。


「うーん、、、」と、涙を堪えながら、そう返事するのがやっとだった。


会話をすると、涙がこぼれてしまう状態だった。


すると保健の先生は、「先生、1時間くらい職員室に行くから、それまでゆっくり休んでていいよ。」と、僕が泣き出しそうな事を感じて保健室を出て行った。


泣かせてあげよう、というその優しさが引き金になり、ここに来てからの緊張感が一気に緩んでしまった。


『早くここを出たい。』


僕はいつここを出れるのだろうか?と堪えきれず、声を殺してだが号泣してしまった。


『もうここを出たい』と、とても不安になった。


それまでは張りつめていたのか、自分がそんな事で不安の感情を抱いていた事に気づいていなかったようだった。


その日の夜、寮長先生に話がありますと言って二人で話す機会を与えてもらった。


「寮長先生、僕はいつ出れますか?」すると寮長先生は即答で答えた。


「まだまだ先だ。まだお前入ったばっかりだろ、そんな事考えるな。」


僕は、この言葉がとてもショックで動揺した。


二度と出られないのではないか?と極端に不安になった。


なぜなら、みんなのように鑑別所からこの教護院に入って来た訳ではなく、自らここに入って来た僕はすぐにでも出たいと思った時に出られると真剣に思っていたからだった。


「じゃあ、児童相談所の先生に会わせて下さい!親でもいいです!」


これまた緑長先生は即答で言った。


「まだ会わす訳にはいかん。最低2ヶ月後だ。」


俺は愕然とした。


まだ1週間くらいしか経っていない、『2ヶ月!?2ヶ月なんて長過ぎる、、、』僕はもう堪えきれず、声を出して泣き出してしまった。


普段、人前で泣いた事なんて無かったのに、この時は我慢ができなかった。


今思うと、誰よりも甘えていて、考え方が身勝手だった。


出る事ができないのではないか?という不安感から、気になる事をその時思い出した。


同じ5寮の中学3年のN君が数日前に僕にこういう事を言った。


「足立君は、ここから何年も出れないぞ。剪定係に選ばれただろ?剪定係は長い事ここに入る事が決まっている奴が選ばれるんだからな。」


そう言われた事を思い出したのだ。


施設に入ると何か必ず係のような手に職を付ける、課外授業を与えられるのだったが、僕はそのN君の言う剪定係になっていたのだった。


その事を思い出した僕は不安な気持ちを抑えたい一心でその事も聞いてみた。


青っぱなの鼻水を垂れ流して泣きながら。


「剪定係になると、ここから出られないって聞いたんですけど本当ですか?」すると、寮長先生は笑い出して言った。


「ははははは!誰がそんな事を言ったんだ?」


僕はN君がそう言ったと答えた瞬間だった。


寮長先生はいきなり立ち出して、「おい!N!!こっちこい!!お前、足立に出られんって言ったんだと!?お前にそんな事を言う権限がどこにあるんだ!!お前の態度こそが出られん奴の態度だろうが!!」と、僕の目の前でN君が何発も殴られた。


僕はこんな事になるなんて、、、とN君に申し訳なかった。


すると、番長のI君が口を挟んだ。


「N君は、足立君の事が気に入らないからそうやっていじめてるだろ!」と。


僕はN君が僕の事をただ一人だけ受け入れてくれていないと感じていたので、やっぱりそうだったのか、と思った。


「お前、女々しいやつだな。これから足立に何か変な事言ってみろ、お前どうなるか分かってるな!おい!I!お前、これからNを見張ってろ!」


と、最強の二人に僕は守られる事になったが、結局いつここから出られるかは分からず終いだった。


そして、僕はそんな事をずっと悩むより、出れるかどうかなんて関係ない!僕はずっとここで、ここでのルールをしっかり守って全力でいこう!と思った瞬間、すべての不安がウソのように消えたのだった。


心配な事やイヤな事に目を向けているうちは、それはどんどん大きくなっていくようだった。


そうじゃなく、それを受け入れて、覚悟した時不安と恐怖は消えて無くなるようだ。


消えるのではなく、気にならなくなるのだった。


僕が泣き止みみんなの所に戻ると、みんなが黙って優しく受け入れてくれたようだった。


すると、初日にアメ玉をくれたM君が耳元でそっと、「足立君、入った時はみんなこうだから気にしなくていいよ。」と囁いた。


僕はこの日、まさか幸せを感じる事ができるとは思っていなかった。


見た目は悪ガキたちだが、本当にみんな優しくて思いやりがあった。


そのN君以外は。


N君は先生やI君の前ではヘラヘラとしていたが、二人が居ないと威張っていて、誰からも相手にされず嫌われていた。


教護院の生活

教護院自体は山に囲まれた広い敷地内に1寮から8寮までが適度に散らばって建っていた。


僕は『第五寮』という寮で生活していて人数は10人。


そして、同じ建物に隣接して寮長先生家族3人が一緒に生活していた。


2週間程すると徐々に慣れていき、思いの他楽しくなった。


みんな名前を君付けで呼び合う決まりがあったが、僕はたまに「おい、○○!」と、呼び捨てで番長のI君を呼んで、みんなをヒヤヒヤさせたが、I君はそんな僕を「足立さん、何でしょうか?」と、冗談で返してくれるほど、とても可愛がってくれるような間柄になっていた。


寮内には6畳の畳の部屋が3つあり、向かって左側から『一室(いっしつ)』『二室(にしつ)』『三室(さんしつ)』と呼び、僕は真ん中の『二室』だった。


部屋に扉は無く部屋の中は向かい側にある寮生たちが勉強する為の談話室からは丸見えの造りになっていて、隠れてコソコソできないようになっていた。


寮生にはそれぞれ3段の小さなタンスがあたえられていて許可された数少ない服や、ラジカセやカセットテープが入っていた。


この頃は、チェッカーズが大流行していて、日曜日の休みの日には必ず誰かのラジカセからよくチェッカーズが流れていた。


自分専用のタンスにお菓子や漫画を入れている子もいた。


月に一度先生に付き添われて外の世界に出る事ができた。


行き先は歩いて15分ほどの駄菓子屋さんと公園で500円分の買い物ができたので、この日を心待ちにしていた。


みんなのテンションが上がり、悪ガキ達が大きな声でチェッカーズの歌を合唱しては寮長先生から「おいお前ら、うるさい!たまには違う歌を歌え。」とよく言われていた。


駄菓子屋で僕はよく興味があったオートバイの雑誌を買っていた。


風呂は寮と寮長先生宅の境目の扉の向こう側にある。


大きい風呂で3~4人ずつで入り楽しかったが初日だけは、恥ずかしくてモジモジしていると、「恥ずかしいのか?早く入ってこいよ!」とI君たちにからかわれた。


白いムトウハップの湯は温泉の匂いがして、いまだにこの匂いを嗅ぐとあの頃を鮮明に思い出す。


トイレは寮の一番奥に、無駄に大きく大小2個ずつも設置されていた。


ここはコンクリート張りの寒くて暗い場所だったがなぜかここが落ち着いた。


変な話、マスターベションはここでするという決まりがあり寮生たちの聖地でもあった。


マスターベーションは報告生で、「ちょっと行って来る。」と言う合い言葉が決まっていて、誰かが最中の時は誰もトイレには入らないという暗黙の了解があった。


決まりは必ず守られたので、みんな安心して青春を爆発させていた。


新人は決まって2週間後に我慢出来なくなって、マスターベーションをするという面白い統計があった。


僕もムズムズしはじめて、ちょうど14日目に解禁して自分が健康である事を知って安心したのだった。


ちなみにこの時、過去最高の気持ちよさだった。


毎朝六時1日が慌ただしく始まる。


寮母さんが『六時だよー!起きなさいよー!』と大声で起しに来ると一斉にみんな飛び起きる。


ダラダラしている時間などここでは存在しない。


朝、早く起きなければ学校に遅刻するだけでなく、寮長先生から厳しいお仕置きが待っている。


2度寝したら後はない。


そんな時は『よし!起きるか!』と、眠いけど一気に起きるに限る。


そういう時って、実は凄いパワーを使っている。


これを、落ち込んだ時にも利用できた。


気合いを入れてみる大事さも教護院で学んだ。


その後は、自分の布団をたたみ押し入れにしまう。


顔を洗って歯を磨き終わると寮長先生に報告をする。


『おはようございます!足立です!歯磨き終わりました!』


すると、奥から『おはよう!よし!』と、寮長先生が返事をする。


この時、六時五分を過ぎると、寮長先生に怒声を浴びせられる。


「こらぁ!!お前いつまで寝てるんだ!早く起きろ!」という怒鳴り声が聞こえてくるのだった。


そして、その後はローテーションで、自分の担当の持ち場に行き、仕事をこなすのだ。


それは、床掃除、部屋の雑巾がけ、窓ふき、風呂洗い、トイレ掃除、庭掃除、給食当番、ゴミ燃やし、である。


これを寮生達が当番制で手分けしてやっていく。


自然に囲まれた寮には広い庭もあり、鉄棒があって小さいサッカーゴールがあってよくシュートの練習をした。


庭はフェンスに囲まれていたが腰までの高さだったが敷地内にある中学校と運動場の周りには、乗り越える事のできない高くそびえ立つフェンスで覆われていて、塀の中だという事をイヤでも思い出された。


体育の授業中にたまに、閉塞感を感じた事があった。


寮の庭先には洗濯機がひとつあって、当番が回って来たら全員分の洗濯を2人で行った。


布団のシーツだけは日曜日の朝、寮長先生の奥さんが「はい!シーツ出しなさいよ!」という号令で回収され、寮長先生の奥さんが洗濯してくれた。


靴も日曜日に洗うのだが、靴はそれぞれが自分で洗った。


そんな事を中学生たちが毎日同じ事の繰り返しでそれをこなしていったので、何でも手際よくできるようになった。


それがとても大切なことだという事に、大人になってから気づいた。


その施設では基本的な基礎になる大切な骨組みを学んだ。


当時その教護院には50人程の寮生たちが生活を共にしていた。


僕は、この教護院の中で番長格をしていたI君に可愛がられていたので、とても住み良い環境で過ごす事ができた。


自由時間が夜の8時から9時までの一時間しかない中でも、覚悟を決めてからの僕はとても楽しくここでの生活を送る事ができた。


地元の友達には一切会えない生活だったが、親は二ヶ月に一度ほど面会に来ていた。


筋金入りの不良たちの中で、夜も眠れない程心配していただろうが、初めての面会の時に寮のみんなと元気にはしゃぎ、木登りをしていた僕を見てホッとしていた様子だった。


寮生たちも面会に来る親達には元気に挨拶をしていた。


親元を離れてみて初めて、親に対する気持ちに大きな変化があった。


それまでは、世界中の中で誰よりも両親を憎み、一切口を利かない生活をしてきた僕の中に、初めて『両親のありがたみ』を感じたのだった。


日頃は絶対に感じる事のなかった感情だった。


教護院の生活~真冬の浄化槽~

教護院生活の中で多くを学んだ。


中でも、“郷に入れば従う”という事がとても大きな収穫だったようで、僕は、生活態度が評価されて、予定よりも早くにその教護院を出る事ができた。


ある珍事件があり、僕はこの事から大きなものを学んだ。


教護院に入って1ヶ月が経過した頃の真冬の夜、事件が起きた。


僕のいる5寮のトイレの浄化槽が壊れて、トイレが流れなくなってしまったのだ。


寮長先生と共に、寮生全員の10人で5寮の裏手に回った。


浄化槽のフタを開けて中をみんなで覗き込んだ。


「おい、この中のどこかが詰まってるぞ。」と寮長先生が、浄化槽の中を懐中電灯で照らしながら言った。


寮長先生の指差す浄化槽の中を覗き込むと、そこはまさに汚水が詰まり満タンに溢れ出そうとしていた。


「誰かここに入って詰まっているものを取れ。」


寮長先生は笑いながら寮生に、そう言った。


誰も彼もがお互いの顔を見合わせて、誰一人自ら率先して浄化槽に入る奴は居なかった。


辺りは氷点下で刺すような猛烈な寒さで体中が痛い。


すると寮長先生が言った、


「よし、じゃぁジャンケンで決めるか!」


一斉に「えぇ~~~~!?」と自分が負けたらどうしようかと想像しているようだったその時だ。


一人が言った、


「俺、入ります!」


周りのみんなは一瞬静まり返って、その言葉を言い放った人物を一斉に見た。


「おぉ!凄いなお前!おい、みんな見習え!この潔さを!よし!じゃあ、みんなで足立を支えろ!」


そうだ、入ると言ったのは僕だった。


僕は、みんながジャンケンして、誰かが負けてイヤイヤ浄化槽に入るのを見てるのも嫌だったし、何よりも一番の理由は僕はこの教護院の郷に従う、と決めていた事が一番の理由だった。


僕はここでは一番新入りなので、普通は新入りが一番イヤな仕事を引き受けるものだ。


それに嫌々入るのではなく、自ら率先して入れば、そんな束縛感から解放される。


“やらされる”のか“自らやる”では、自分の中に沸き上がる感情に、雲泥の違いがあるはずだ。


僕は誰かにやらされるのではない、みんなのために自分から望んで浄化槽に入るのだ。


決して後ろ向きの気持ちでは無かった。


そして僕は身体にロープを巻いてみんなに持ってもらいながら浄化槽の中に足からズブズブとタラップを伝って入って行った。


早い話がうんこまみれの汚水のお風呂に首まで浸かったのだった。


僕はジャージの上下を着ていたが、それは何の意味も持たない。


汚水は身体中に染み渡り、その水位は口元寸前だった、、、。


俺は口にだけ入らないようにして、手探りで詰まっている物を探した。


汚物の中は当然悪臭が漂い、しかも極寒で身体中が汚水で冷たい。


でも、みんなが必死で僕を支えてくれていた。


一つになれた気がした。


ビニール袋が吸い付いていたので、それを取り除こうとしたが、手にはめていた軍手が滑り、なかなか思うように吸い付いたビニールが取れない。


軍手の意味もまったく無いので、軍手無しで再びビニールを取り除くと、『ギュルギュルギュル!!』と、凄い音を立てて、満タンだった汚水が凄い勢いで浄化槽の中に流れていった。


「おぉ!!」という歓声が沸き上がった。


僕が浄化槽に入っていた約5分間、極寒の寒空の中、誰ひとり寒そうにしていなかった。


みんなに火が点いていたみたいだった。


誰かに火が点いていると、それは感染してみんなが熱くなるようだ。


「おい!お前ら!よく見ろよ!これが勇気のある奴の行動だ!、、、おい、早く引き上げて足立を熱い風呂に入れてやれ!!」


と寮長先生が叫んで、みんなが真剣に俺を引っ張り上げてくれた。


そして一斉に「足立君凄い!ありがとう!凄い!」みんながひとつになった瞬間だった。


僕は浄化槽から極寒の地上に上がるとなぜだか“俺は今、生きている”と、いう気持ちになった。


人が嫌がっている事でも、自分から率先して挑む時には、決してイヤな気分にはならない、という大きな事を学ぶ事ができた。


教護院の生活~落ちこぼれの優等生~

ここ教護院での生活は面白い。


朝は6時に起床して、顔を洗って歯を磨いたら寮長先生に「おはようございます!足立です!歯磨き終わりました!」と報告する。


そしてその後、それぞれ決められた当番の仕事をこなして行く。


週ごとにそれはローテーションで交代するのだった。


分刻みでの分担を終えると、必ずいちいち寮長先生宅のドアの前に行って大声で仕事完了の報告する。


「足立です!雑巾掛け終わりました!」と。


すると、寮長先生が「よし!」返事をくれたら無事終了して、次の仕事の役割をするのだ。


朝の役割を終えると、みんな揃って敷地内の学校へと歩いて行く。


徒歩2分くらいの距離に学校はあった。


時間がしっかりと決まっているので、8寮ある寮生たちが学生服を着て一斉に集まってくる。


その光景は笑えるくらい、どの顔を見ても、剃り込みが入り眉毛が細く鋭かった。


普通の中学校と作りは同じだが小さい。


クラスは、中学1年と2年は同じひとクラスのみ。


そして中学3年ひとクラス。


そして女子寮に住む女子のクラスがひとクラスの3つのクラスしかなかった。


そして、授業がまた面白かった。


まずその施設に入ると必ず小学1年生の古びた教科書を全科目すべて渡される。


それを各自それぞれ問題を解いていき全問正解になれば次に進むのだ。


僕は冗談かと思いながら、ひたすら小学1年生の教科書をやっていった。


1日で、小学3年生まで進んだ。


すると、「足立君頭良いなぁ天才だなぁ」と、真顔で他の寮の子が本気で言ってくる。


その子は小学2年生の“さんすう”をやっていたが、本当にできないようだった。


計算はもちろん、九九をまったく理解していないのだ。


それがここでは珍しい事ではない事に僕は心底ショックを受けた。


『俺って、まだまだマトモなんだな。ありがとう、気づかせてくれて。』


と勇気を与えてくれるその子に心でお礼をした。


こんな簡単な授業なら僕は楽勝だと思っていた。


が、思いのほか小学5年生で進みが遅くなって停滞した。


『ガーン!!俺ってやっぱりバカ?』


それでも、クラスでは2番目に頭が良いという信じられないポジションで、ここでの僕は優等生扱いだった。


みんなが足立君教えて、と教科書を持って来ていたのを僕は教えるようにもなっていった。


『ウソでしょ?俺が勉強を教えてるなんて。』


親が見たら喜びのあまり、心臓発作を起こすかも。


小学5年生の問題でつまずいていると知ったらあぁ、やっぱりな、と思うだろうが。


そして、ここでの驚きのルールがいくつかあった。


まず、女子とは口を一言も聞いてはならなかった。


先生に見つかればとても厳しい懲罰が待っていた。


だから、みんなは見張りを立てて厳重体制のもとで必死になって女子と話すのだったが、話す事が出来たのは、結局5寮のI君達の番長グループのみだった。


女子たちも男子と同じで全員がヤンキーでワルだった。


男子はここへ入る時に全員が丸坊主にされるが、女子はおかっぱ頭にされる、という決まりがあった。


そして、月に一度出張で床屋さんが3人来てくれて、男子は刈り上げか坊主のどちらかを選んで切ってもらう。


女子はみんなおかっぱ頭と決まっていた。


入って間もない女子は髪の毛を見れば一目瞭然だった。


入りたての女子は、髪の毛が金髪だ。


年月が増えれば、髪はプリン状態になり生え際が黒く、そして古株たちの髪は毛先から根元まで真っ黒の髪の毛をしているのだった。


一人凄い美人の3年生が居て、スタイルも抜群で一人だけ明らかに違うオーラを醸し出していた。


I君に聞いた話によれば入って来た理由は暴走行為と薬物だと言っていた。


僕はその子と話がしたかったが、そのチャンスは一度も訪れる事は無かった。


でも数回、給食当番で給食センターに行った時、一緒になりドキドキした。


僕を見て何度か微笑んでくれた。


でも、周りに人がいるし、どっちみち緊張して話す事はできなかった。


しかし、微笑んでくれた、ただそれだけで僕は天にも昇る気分を味わえたのだった。


中学2年生、それで喜ぶ純粋さがまだこの頃にはあったのだ。


教護院の生活~まさかの出来事~

思いで深い事はたくさんあるが、中でも強烈に印象に残っている事がある。


それは朝の全校集会でラジオ体操をした時の事、僕たちのクラスが教護院の院長先生からダメだしをされた事がキッカケだった。


そのクラスの担任は、泣く子も黙るG先生。いつも手には竹刀を持ち歩き、毎日怖い先生だった。


ここに入れられている寮生の半分程が、暴力団組員の親を持つ不良のサラブレットたちだったが、そんな寮生にもお構いなしで竹刀でどつき回す武闘派の先生だった。


集会が終わり、クラスに戻ろうとした時、そのG先生が僕たちのクラス全員に言った。


「おい、お前ら!グランドを走れ!」


すると、クラスのみんなはダラダラとした足取りでバラバラに走り出した。


「馬鹿野郎!整列して並んでしっかり走れ!」


それでも、まとまりなくクラスの半分はダラケて走っていた。


グランドを1周し2周し3周した。5周、6周、、、10周しても、G先生は止めろとは言わない。


ダラダラと、まとまりなく走っているからなのだろうか?


悪ガキ達は、『何周走らされるんだ?』と不安になり始めてきたのか、徐々に走りながら整列していった。


ダラダラとふて腐れて走っていた人数も、『G先生、これは本気だ。ヤバいぞ』と、そのほとんどが真剣に走りだした。


それでも中2の番長をしていた子だけは、プライドが許さないのか、一人だけまだふて腐れて走っている。


でも、その子には誰も逆らえない。


誰も意見する事ができない別格の人物だった。


意見するのは中3のI君のグループだけである。


でも、今は居ないので、誰も何も言えない。ただG先生だけが、その子に向かって、「M!お前、いつまでダラダラ走ってるんだ!しっかり走れ!」それでも、そのM君は、ダラダラとふて腐れて走っていた。


グランドを20周してもG先生は止めろと言わない。


これはM君がちゃんと走らない限り、まだまだ走らされるぞ、、、。


30周走っても40周走ってもG先生は止めさせてくれない。


僕は思った。


『50周か。まだあと10周もあるぞ。ちょっとM君!ちゃんと走ってよ!』と。


ゼェゼェ言いながら、やっと50周を走った所で、ようやくG先生が「はい、やめ!」と、言うかと思いきや、、、言わない!!


『G先生?数、数え間違えてるよ!50周だよ、今の周で50周だよ。』と、僕は心の中で突っ込んだ。


その後、60周、70周、、、そして90周走った。


もう信じられなかった。


恐るべし教護院。


恐るべしG先生。


『100周か、、、あと10周か。』


そう思ったのは、僕だけではなかったはずだ。


その頃には、M君もしっかりと走っていた。


逆にふて腐れて、ダラダラと走る方が負担がかかり、走りにくいであろう。


もう、こうなったら意地だった。


そして、いよいよ100周を走り終わった。


『あれれ?、、、センセ!今のが100周ですよ。』


なんと、終わらなかったのだ。


『もう!バカバカ!先生のバカ!』


横を見ても前を見ても、クラスのみんなは汗だくで走っていた。


凄い形相で真剣に走る顔つきに、胸に迫って来る何かを感じた。


そして結局、200周走った。


朝走り始めたのに、200周走り終わった時、周りはもう暗くなり始めていた。


「よし!暗くなって来たからお前ら止めだ!止まれ!」


『何?今、凄い事言ったよね、暗くなったから止め?夏だったら300周走ってたの?』


この時心で感じたのは、『さすが筋金入りの選りすぐりの悪ガキたち!凄い根性がある!みんな凄い!』と一体感も感じたし、なぜだか嬉しかった。


それよりも一番凄いと思う事があったのだ。


それは、なんと最初の1周目から、最後の200周まで、なんとG先生も一緒に走っていた事だ。


だから、誰も文句を言えないし、愛情を感じたのだった。


愛情があるからこそ、G先生は、いつも竹刀でどつき回しても堂々として居られたのだろう。


とても尊敬する先生だった。


僕は走る事には自信があったが倒れそうなくらいヘトヘトで1日であんなに走った事は無いしこの先も絶対にないだろう。


みんなが居たからこそ走れたのだ。


それでも、熱い素晴らしいものを感じた貴重な経験だった。


G先生が、何を伝え何を感じさせたかったのかが分かった気がしたその日を境に、M君とG先生はよく話すようになったのだった。


人は楽な方へと流れたがる生き物。時には、鬼教官が必要な時もあるんだ。


教護院最短記録

僕は、郷に従う事を誓って教護院のルールを守り、率先して何でもやった。


そして誰とでも仲良くし、厳しい決まりに文句も言わず頑張った。


朝も6時起床で一番最初に布団をたたみ、毎日1番で顔を洗って寮長先生に報告に行った。


誰よりも元気で一生懸命、真剣に何事にも取り組んでいた。


そんな所が評価されたのか、過去のこの教護院の最短記録でここを出る事になった。


でも、早く出る為に頑張ったのではなかった。


『もう、ここでずっと生活していこう!』と決意して覚悟を決めての事だった。


だから、誰よりも心からここの生活を楽しめた。


周りの子たちは、『早くここを出たい』という思いが強過ぎて、誰かがここを出る事が決まる度に落ち込んだ。


ある日、あのI君が卒業式の少し前に出て行った時の事だ。


僕は寂しかったけど、I君が出て行く事が決まって喜んでいたので、一緒に心から嬉しくて喜んでいると、最初にアメ玉をくれたE君が僕に耳打ちした。


「足立君、他のみんなの前で喜んだらダメだよ」と言う。


「なんで?」と言うと、「ここでは、全員が早く出たいって思ってるから、誰かが出る事が決まると、みんな凄いショックでひがむんだよ。だから、喜んだりその話題になると怒る子も居るから気をつけて。」と言った。


信じられないと思ったが、実際そうだった。


I君が出て行くと、教えてくれたE君以外の全員がドーんと重たい空気が1日流れた。


誰も話をしない変な空気だった。


僕はI君が出て行った寂しさからではないか、と思ったがそうではない事が決定的に分かった。


いつもは優しい中3のT君がぼそっと言った。


「なんであいつがこの時期に出れるんだ?だったら、次は俺かR君だよなぁ」と、不満があるようだった。


日頃はI君と仲の良かったT君でも、そういう心境になるんだな。そうか、ここは塀の中なんだ。


思った以上にみんなの心の中には壁が高かったんだ。


僕は残りの3年生たちが全員、ここを出る日までは自分が、あと1ヶ月後に出られる事を秘密にしようと誓ったのだった。


でも、ここが楽しすぎて、ここから出る事がイヤだったので、何とか残れるような方法はないだろうか?と本気になってその方法を探していたほどだった。


僕がここで学んだ事は、『目の前の事を真剣に集中してやるだけで、時間や状況を忘れる事ができる。』という事だった。


今現実、起こっている事はすべて自分の責任で起こっている事だと受け入れて、覚悟を決めた時、人は自由になる、という事も学んだ。


『すべてを受け入れよう。』と、心に決めたからこそ、教護院の中でみんなが『早く出たい』と不服を言い続けて居た中、やるべき事をしっかりとやって、すべてのルールに従おうと思った結果、のびのびと楽しく過ごし最短記録でみんなよりも一年も早く出る事ができたのだった。

>第2章「中学生への登校拒否宣告~中卒以下の学歴を手にした僕~」へ続く


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足立博


中学中退という異例の経歴を持つ「小卒社長」。2000年にバリ島家具のフルオーダー専門店ROBIN、2004年にCANDy BLOODを開業。同時にインターネットマーケティングを学び各リアル店舗事業を成功させる。
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