バリ島家具専門店の開業、そして。/足立博ヒストリー~小卒が社長になるまで~第五章

小卒が社長になるまで。第五章「バリ島家具専門店の開業、そして社長に。」

日本に帰ってくると、俺は何とか体に鞭打って店づくりをした。


バリでは毎日1時間しか寝ていない日が3週間続いていたので身体が慣れるまで大変だった。


そろそろバリからコンテナが港に着く頃だ。


2週間ほどしてコンテナを通関してもらう業者に手当たり次第電話した。


「あの、バリでコンテナ一杯の家具を買って来たんですけど通関して下さい。」


しかし、業者は「個人の方は受け付けられない」と、ことごとく断られてしまった。


愛知県の通関業者はすべて電話したが全部断られた。


そうこうしている間に、コンテナが名古屋港に到着してしまった。


俺は『え?ここまで来てこんなどんでん返しがあるなんて。やっぱり簡単じゃないのか、甘かったのか。』事の重大さに気づいた俺は、いよいよ焦って来た。


しかも、コンテナを港に起きっぱなしだと、場所代が発生し始めるという電話までかかってきたので尚更だった。


『どうしたらいいんだ?何も勉強も下調べもしなかった俺が悪い。どうしよう、、、』と、その時『あ!そうだ!』俺はある人を思い出した。


以前、一人旅でニューヨークに行った時、ニューヨークの知り合いのホテルを手配してくれた人物の俺の尊敬する伊藤さんだった。


服屋さんを長年やっていて有名な人だった。


『伊藤さんなら、アメリカから服を仕入れているから、コンテナの事を知っているかもしれない!』


俺は、そのまま伊藤さんのやっているお店“ドント”に行ってみた。


店に入るなり、伊藤さんに開口一番聞いてみた。


「伊藤さん、コンテナごと家具を買って来たんだけど、どこも通関を引き受けてくれないんです。何かいい方法ないですか?」


すると、伊藤さんがすぐに受話器に手を伸ばし「よし、俺がすぐに電話してやる。」と、伊勢湾海運という海運会社に電話し始めたのだが、俺はがっくりした思いで伊藤さんに言った。


「伊藤さん、伊勢湾海運ダメだった。2回電話したけど断られた。昨日も電話したばっかり。」


でも、伊藤さんはお構いなしの様子。


すぐに相手が電話に出た。


「伊藤だけど課長いる?、、、おぉ、浅野さん、俺の弟みたいに可愛がっとる奴が、バリでコンテナごと家具買って来たんだけど通関したってくれ!おう、じゃぁ頼むわ。」


俺は驚いた。


わずか数秒で簡単に話が終わって電話を切った。


「心配するな、やってくれるぞ。」


『凄い。カッコいい大人だとは知っていたが、人脈も凄いんだなこの人。』


そう感じたのだった。


そして俺もこういう大人になって、


『困っている若い子たちの力になれるように俺もなりたい!』と思った瞬間でもあった。

バリ島家具専門店の開業~通関~

ドントの伊藤さんに言われた通り、俺はドントを出た瞬間に電話した。


相手の気が変わらないうちに。


すると、ドントの伊藤さんの知り合いの浅野さんという課長さんが担当してくれる事になった。


「ドントの伊藤さんとはもう何年もの付き合いだからねぇ、大丈夫安心して。」と言ってくれた。


実際に浅野さんに会うと、とても優しくて頼れる人だった。


そして、何も知らない俺に、浅野さんは貿易の色んな事を教えてくれたのだった。


とても親身になってくれて父親のような存在になった。


その後中国に5年程行っていたが、日本に戻るとわざわざ店に会いに来てくれる関係になった。


初めての輸入という事もあり準備不足な物や足りない物があり何度か港に呼ばれた。


コンテナの中の家具の素材や用途、数、現地での値段など細かく聞かれた。


ドイナさんに教えてもらっていたのだが、必要な事とは知らず疎かにしていた箇所だった。


結局、何とか次への課題が分かり勉強する事だらけだったが、無事に通関が終わりいよいよ店に搬入する日が明日に決まった。


が、この時ひとつの問題が立ちはだかったのだった。


バリ島家具専門店の開業~倉庫~

買い付けた家具がコンテナごと店に届く日は明日に決まった、その瞬間だった。


『ん?待てよ。あの家具の量って店に全部入るのか?』


入るはず無かった、、、。


俺は、自分のバカさ加減にいい加減嫌気がさしていた。


『何で俺は倉庫が必要だって事になんで気づかなかったんだ!?倉庫が無いのに、バリ家具屋?バカか俺は。』


しかし、時間は待ってはくれなかった。


通関されたコンテナが次の日の朝、店に届いた。


すると、ビルの管理事務所から、この店を俺に貸してくれるという許可をしてくれた渡辺さんが来た。


「いよいよ来たねぇ手伝おうか?」


俺は、ダメ元で渡辺さんに話してみた。


「家具が来たのはいいんですけど、半分以上店に入りきらないんですよね。」


すると、渡辺さんは言った。


「じゃあさぁ、今ちょうど3階に空き店舗があるから、そこを使っていいよ。」


俺はまたしても救われた。


友達たちが数人集まってくれて、一緒に家具を店と3階の空き店舗に運んだ。


店はプロのデコレーターをしている知り合いがディスプレーをしてくれたので、とても初めての店だとは思えないほど、素晴らしい店になった。


そして俺の店ROBINがいよいよオープンする。


あ、間違えた、『俺たちの店』がいよいよオープンする。


店の壁には、店をつくるうえでお世話になった人たちの名前を全員書き込んだ。


バリ島家具専門店ROBINの開業

オープン当日、朝から次々に花が届いた。


俺はみんなに気を使わせるのがイヤだったので、少人数の友達にしか伝えていない。


もちろんパニック障害の時に去っていった友達たちは、店をオープンする事すら知らないはずだった。


それなのに、次々に届く花、花、花。


気づけば20人以上の人から花が届けられ、店は花で一杯になったのだった。


しかも驚いた事に、去っていったと思っていた友達からも花が届いた。


『俺はなんて幸せな人間なんだ。みんな本当に、本当にありがとう。』


そう思っていると最後の花が届いた。


送り先住所は大阪だった。


『あ!!ドイナさんからだ!!』


俺は心から嬉しかった。


『これからもドイナさんとは続いて行くんだ!』


そう感じたからだった。


バリだけで終わりではない、これからもドイナさんに会えるんだ。


「ほな、日本でな。」と言っていたっけ!社交辞令じゃなかったんだ!


俺は、何よりもパワーをもらって新しい気持ちで店をオープンする事ができたのだった。


この店の名はROBIN。


この店の名前を付けてくれたのは、この店のキッカケをくれた奥谷さんだ。


「奥谷さん、何かいい名前考えてくれない?」と俺が店をここに出すと決まったその日に頼んだのだった。


するとすぐに奥谷さんが考えてくれた。


「ROBINってどう?意味もあるんですよ。」


俺はすぐに気に入った。


「凄くいい!何ですか?意味って、どんな意味があるんですか?」と、訪ねるとこう言った。


「足立君はバットマン&ロビンって映画に出てくるロビンみたいな感じがするんです。向こう見ずな感じがするんだけど、必ず周りの誰かが助けてくれるって所もピッタリでしょ?」


なるほどなぁと思った。


何から何までみんなが力を貸してくれた。


バリ島家具専門店オーナーとしてラジオ生出演

店がオープンする日、もうひとつ感謝の出来事があった。


それは、またしてもビルの渡辺さんだった。


「足立君、今日ラジオ局を呼んだからラジオで喋ってよ。」と言う。


ラジオのレポーターが来て、ラジオの生放送中にROBINの宣伝をしてくれるのだという。


バリ島家具屋さんはまだ珍しかったので、ラジオでレポーターと一緒に俺も喋る、というものだった。


俺は即答した。


「無理です。俺喋れません恥ずかしくて。」と断った。


でも、もうすでに呼んでいてレポーターも居るではないか。


俺は何とか原稿を一緒に考えてラジオでレポーターからの質問に答えるだけの簡単なものにしてもらい、何とか無事に話す事ができた。


そしてオープンすると、ラジオを聞いてやって来た人たちがたくさん来てくれたのだった。


俺はバリ島家具がどのくらい売れるのかまったく予想が出来なかったが家具はどんどん売れて行った。


そして嬉しい事にあのソファーたちが凄い売れ行きだった。


しかも、その後このソファーがもうひとつの奇跡を起こす事になる事もこの時はまったく予想していなかったのだ。


オープンの前日は『大丈夫だろうか?』と、突然の恐怖感にも襲われた。


まったく新しい扉を開く時には何も予想がでいない分、大きな恐怖感が襲う。


でも、それが普通なのだ。


不安が無いなんておかしいのだ。


バリ島家具専門店を開業して気付いた事

15才で教護院を出ると中学中退。


そして、自分自身がやりたい事ではなく楽な方へと駒をすすめ、その挙句パニック障害を煩った。


友達も去り僕は独りになり暗闇を彷徨った。


それまでの人生は嫌な事や不安から逃げ出す生き方だった事に気づき、それを変えようと思った。


不安でも逃げずに立ち向かうと心に誓い、決めた事も3日坊主にならないように必ず続けた。


中学を途中で辞めて一般的なレールから外れた人生を歩き、すべて自分で考えて道を切り開かなければいけない僕にとって、この課題を乗り越えるのは必至だった。


正解が分からない新しい事をやっていくと毎回『これでいいのか?』と必ず不安になった。


そんな時、信念を貫くために『逃げずに立ち向かおうとする』癖が役立った。


すべて1人でやってやろうとバリに行ったが、一人では何もできず人に助けられた。


でも、行くと決断し逃げずに立ち向かったからこそ、ラッキーが僕を助けたのだろう。


こういう事は度々起きた。


一人でやる事が大切なのではなく、『決断した事を逃げずにやり抜こうとする行動』に、何かヒントが隠されているような気がする。


それはラッキーは必ず努力の後に訪れるという事に気づいたからだ。


昔から運だけは良かったが、振り返ってみると必ずこの法則に当てはまった。


パニック障害になり苦しかったけど、この事に気づく事ができて本当に良かった。


そして、人間は一人では何もできない事もこの時、同時に学んだ。


その後のバリ島家具専門店ROBIN

店が始まり、アルバイトを雇うようになり、俺は毎日毎日、倉庫探しを始めた。


何十件と探したが、条件に合う倉庫はどこにも空きが無かった。


俺は途方に暮れていた。


『俺の運の良さも、ここまでは続かないか。』


その日も倉庫探しの帰りに昔からの知り合いがやっているサーフショップに立ち寄った。


「おぅ博!店はどうだ?お前今日、店休みか?」とサーフボードシェイパーをしているノリさんが言う。


「休みじゃないよ。ずっと最近は倉庫探ししてる。」


するとまたしても信じられない事をノリさんが言ったのだ。


「倉庫?ここ、聞いてやるわ。」と、すぐ目の前の倉庫を指差して、その場で電話してくれた。


すると、すぐに貸してくれると言うではないか!


俺はあまりに運が良いので少々怖くなった。


すべて周りの人に助けられる。


しかも条件がすべて揃った倉庫だったのだ。


そして、次は営業にも挑戦した。


営業なんてやった事がないので、どこを廻ればいいのかも決まりやマナーも何にも知らない。


またしても、自分で思ったようにやるしかなかった。


『これでいいのかな?』と、もちろん不安だった。


でも、新しい事は不安が付きものだし正解も知らない。


逃げずにやるだけだった。


俺は、とりあえず無謀にも有名デパートばかりに営業に行った。


知らないからこそ大胆な事ができた。


アポという言葉すら知らなかったので、とても恥ずかしい話だが直接デパートの売り場案内に行った。


「バリ島の家具屋をしているんですけど、催し事とかをやる人に会いたいんですけど。」と言う。


『まぁ、営業ってこんな感じだろ。』と思っていた。


受付のデパートレディも戸惑いながらも「少々お待ち下さい。」とどのデパートも取り次いでくれるのだった。


ある日、名古屋駅のJR高島屋にも営業に行き、案内所でいつものセリフを言った。


「少々お待ち下さい。」すると何やらヒソヒソ話している声が聞こえて来た。


「どうしよう、こういう時って誰に言えばいいんだろう?」と話している。


しばらくすると「あのぉ、申し訳ございませんが、今から催事担当の者が会議に出席するので、お引き取り頂けますでしょうか?」と言った。


俺はすかさず「会議が始まる前に、この資料だけでも渡したいんですけどダメですか?」と伝えた。


しばらくすると、「すいません、もう始まってしまうようで、時間が無いそうなんですが。」


俺は意地になった。


「これ渡すだけだよ。一瞬だよ、それが無理なら終わるまでココで待ってますと伝えて下さい。」


すると根負けしたのか担当者が現れた。


しかし、その担当者は言った。


「うちはアジア関係は今後やらないと思います。」


それでも目的を達成できたので「それは構いません。この資料だけ受け取ってもらえればそれでいいんです。」と資料を手渡すと俺は満足した。


そして、それから1年後の事だった。


JR名古屋高島屋の方からROBINの家具をメインで、全国の有名アジアン家具店を集めた『アジアンフェスタ』という催事をやりたいと訪ねてきたのだった。


探し抜いたあのソファーを気に入っての事だった。


そして、その催事は全国の有名アジアン家具店ばかり20店舗以上を集め、なんとROBINは売り上げ1位に輝いたのだった。


そしてその催事は大成功を納め、その後3年間続き、毎年呼んでもらうようになったのだった。


目的を途中で諦めなかった事が、またラッキーを引き寄せた。


そして今でも「髙島屋のアジアンフェスタで知った」と数年経っても店に来てくれる人がいる。


ROBINはオープン後すぐに、恵美さんがROBINの現地スタッフとなってくれた。


なので自由自在にバリ家具のオーダーを受け付ける事が容易になった。


そして、ブライダルのお客様に特化したオリジナリティー溢れるフルオーダーのバリ島家具の提案をしていった結果ROBINはテレビに計3回取材された。


その数年後、また面白いキッカケから新しい仕事もスタートしている。


そちらもテレビ取材されて、個性を大切にした革製品の制作販売の店CANDy BLOOD。


そして今現在、小卒の俺が学歴は関係無いという証明をしながら、想定外の問題が起きても生き抜く知恵や勇気を出せるような生き方の提案をしている。


振り返ってみると、ラッキーは毎回決まって逃げずに立ち向かう覚悟ができた時にだけ訪れています。


新しいスタート

人は一人では生きていけない。


それは赤ちゃんから子供にかけての話だけではない。


大人になってからも、人は人から何かしらの恩恵を受けてしか生活はできない。


例えば家は誰が作ったのか?自分でお金を払っているからと、一人で買ったと思っていても建ててくれる人が居なければ、その家にも住めない。


車だって、自分で車を作った訳ではないし、食べ物だって誰かが僕たちの代わりに育てたものを収穫してくれているはずだ。


今現代に生きていく上で、すべてを一人で生きる事は不可能である。


人は助け合って生きている。


この原点の本質を見失ってしまい易い。


でも、この事を思い出し、“自分に出来る事は?”と考えた時、自分が人のために役に立てる事がきっと、いや必ず見つかるはずだ。


この事を踏まえたうえで人と関わりを持って生きている事を忘れないように、“今自分は、誰のための何をしている最中なのか?”という事をしっかりと理解しながら生きていくと、充実した納得のいく使命感を感じられるだろう。


と、同時に夢や目標、そしてその目的は何か?という事もしっかりと常に把握して“自分はどこに向かっている途中なのか?”という事も忘れないようにしていかなければ、たくさんの情報や物に溢れる今、軸がブレてしまう事にもなりかねないであろう。


そして甘えれば甘えるだけ、今後の人生はよりハードに辛く苦しいものになるという事も、理解しながら“決断した事は逃げずに立ち向かう”事を大切にしていってもらえればと願う。


僕の持論が正しければ『ラッキーは必ず努力の後に訪れる』はずだ。


道がなかった人生も振り返ってみると、足跡がこうして道になっている。


2014年で10年目を迎えたCANDy BLOODも、お客様の人生の“ここぞというシーンに合った”レザーアイテムを私が創り、道を切り開きながら足跡を残しています。


人の人生は映画そのものです。


自分の人生をデザインしてたくましく生きていきたいと思います。


足立博ヒストリー~小卒が社長になるまで~終わり


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“バリ島家具専門店の開業、そして。/足立博ヒストリー~小卒が社長になるまで~第五章” への1件のフィードバック

  1. 読者 より:

    以前に情報ビジネスのリサーチでこのブログにたどり着いた者ですが、今日はこのヒストリーを夢中になって最後まで読んでしまいました。苦難と共に結果的には良い青春を歩まれたんですね。文面からあふれる感性もすごいと思いました。ネットビジネス系のブログって「元社畜サラリーマンが自由を得た何ちゃら」とか「20代で億を稼いだ元●大生の何ちゃら」とか、そんなホントだかウソだかわかんない上っ面な自己紹介ばかりじゃないですか?なのでこの足立さんの超リアルなストーリーはとても楽しく読めました!

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Hiroshi Adachi

足立博


中学中退という異例の経歴を持つ「小卒社長」。2000年にバリ島家具のフルオーダー専門店ROBIN、2004年にCANDy BLOODを開業。同時にインターネットマーケティングを学び各リアル店舗事業を成功させる。
>足立博プロフィール・経歴


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