パニック障害の克服とバリ島家具専門店/足立博ヒストリー~小卒が社長になるまで~第四章

小卒が社長になるまで。第四章「パニック障害の克服とバリ島家具専門店」

『このままでいいのか?』と、再び悶々とした気持ちに立ち向かう日々が始まった。


ようやく元居た場所に戻ってきた。


でも、以前と違うのは、どうすればこの悶々が消えるのか、という事がパニック障害になり何度も内省をしてきて分かって居た。


それは『自分自身が本当にやりたいと思える事を逃げずにやる事』だった。


しかも、今は不幸中の幸いで、友達が誰も居ないではないか。


『やるなら今だ。今しか無い。』


どうせ、友達も居ないのだからゼロから何か始めるチャンスだ。


どうせこうなったなら、自分の知らない世界に飛び込んでみたい!と、覚悟を決めた。


今までの生半可な覚悟とは違って居た。


何度も生半可に『変わりたい』と思っていたあの時の覚悟とは違っていた。


あれは覚悟ではなく、ただの願いだった。


でも今は『覚悟とはどういう事かを知っている。』


新しい友達を作り、新しい人生を歩く覚悟をした。


そんなある日の事だった。


仕事を終え家に帰ると、夕方のニュースに当時アメリカの大統領クリントン大統領が出ている。


政治ネタは興味が全く無いので、映像だけが流れているかのようだった。


が、次の瞬間だった。


「二十一世紀、世界の目はアジアに向くだろう!」と、クリントン大統領が声を高らかに言った一言だけが、なぜか僕の耳にしっかりと焼き付いたのだった。


それからというもの、その言葉が常に僕の中に残ったのだった。


そして、その後その言葉が僕の人生を大きく変える言葉になったのだった。


パニック障害の克服~人間不信克服作戦~

パニック発作以来の人間不信を克服するために、仕事中トラックを道ばたに停めては色んな店に入って行った。


そして店員さんと会話の練習をした。


リハビリとしては最高だった。


不安になってもうダメだ、と思ったらその店を出ればいいのだ。


我ながら画期的なリハビリ方法だと思った。


そして、たくさんの人と話すうちに徐々に話すコツが見えてきた。


やっぱりここでも『今、ここに集中する事』が大切だった。


今現在の積み重ねが未来を作っていくのだ。


そんな頃、僕の兄のような存在のサーフィン友達から電話があった。


「おい博、今日うちでバーベキューやるからお前も来ない?」その友達だけが唯一僕を気に掛けてくれて、たまに電話をくれたり家に寄ってくれたりしていた。


でも、失礼な事に「ごめん、用事がある。」と、いつも追い返してしまって居た。


もちろんパニック障害の事も言っていなかった。


僕はとっさに今までの癖で断ろうと思ったが『ダメかもしれないけど行ってみよう。』そう思った僕は勇気を振り絞ってその友達の家に行ったのだった。


すると、懐かしいメンバーが今までと変わらない態度で接してくれる。


泣きそうだった。


僕は、自分だけ時が止まってしまって居たので、最初はなかなかギクシャクして今までのようには喋る事ができなかった。


僕は不安感の方が強くて楽しむどころではなかった。


しかし、大きな確認ができた。


それはやはり『今、ここに集中』という事だった。


その場だけをリアルに感じ楽しむ事が、その時の僕には欠落して居たのだ。


『発作が起こったらどうしよう?』とか『変な風に思われたらどうしよう?』と、まだ起こっても居ない事にばかり意識を向けて、心ここにあらず、という状態だった。


それでは、前に進めない。


停滞か後退しか望めない。


起こったら起こった時だ。


起こってもそのまますすめ。


だ!それがヒントになり、その後新しい友達たちもできて、次のステップに進む時が迫って居た。


あの悶々とした奥底に隠し切れなくなったあいつを、外に出してやる事だった。


でも、それが実はとても怖い事だった。


僕の本当にやりたい事をやるには、今の生活をすべて壊さなければならなかった。


トラックに乗っていることは僕にとって、楽でお金がたくさん入って来る。


でも、それをやり続けることで、本当にやりたい事から逃げているので悶々とした気持ちが暴れ出す。


『ここから早く出してくれ!』と言うのだ。


今の生活を手放す必要があった。


手放すには、一旦、この不安な気持ちを受け入れてからじゃないと手放せない。


覚悟して僕は少しだけ前に進む決意をした。


バリ島家具専門店

持っているものを捨てない限り、新しいものは手に入らない。


そう思い自営業を辞める事にした。


いつものようにトラックで行きつけのガソリンスタンドに行くと、同級生が車に燃料を入れて居た。


久しぶりに会って話がはずむとその友達が興味深い話をした。


友達がバリ島で結婚式を挙げた時にバリ島の家具を気に入って買って来たら虫が湧いて使い物にならなくなったという。


諦めきれず同じバリの家具を東京で買ったらバリで買った金額の10倍もしたという話だった。


この話を聞いて閃いた。


『これだ!』


いつか、クリントン大統領が言って居たあのセリフがまだ鮮明に残っている。


『二十一世紀、世界の目はアジアに向く!』


この時、点と点が結びつき僕の頭の中でひとつの道がイメージできたのだった。


家具が昔から好きで、特に椅子とソファーには興味があった。


『家具を自分で作って商売したい』と思った事も思い出し実際に自分の部屋の家具は自分で作ったものだった。


そしてバリにはサーフィンをやりに行った事もあり、その時泊まったホテルの家具がとても洒落て居た事も鮮明に思い出して居たと同時にあるインスピレーションが鮮明に浮かんでいた。


それがなぜだか分からないが不思議な事に、あるソファーの具体的なイメージだった。


そしてその時『バリ島家具専門店をやろう!』と思った瞬間だったのだ。


早速僕は行動に移った。


バリ島家具専門店、店舗物件探し

やる事が決まれば後は早かった。


今までの心のモヤモヤも霧が晴れるように消えていった。


『悩んでいたというより実は迷っていたようだった。』


自分がどうなりたいのか、何をやりたいのかがゴチャゴチャと頭の中で渦巻き、道筋が分からないので堂々巡りを繰り返す。


その状態を人は悩みだと思っているのではないだろうか?道筋が見えれば迷う事はない。


迷う事がなければ悩む事もない。


あとは順番通りにやっていくだけだ。


僕の場合、お金に縛られてしまっていた。


たくさんのお金が入ってくるので、それを捨てる事がなかなかできず、自分の心を騙しながらやりがいを感じる事無く続けてしまっていた。


僕の心は『僕じゃないとできないやりがいのある仕事』がしたい事に気がついたのだった。


バリ島家具と言えばサーファーが買ってくれると思い、海沿いに店を出そうと考えた。


僕は仕事を1週間に3日間だけして、残りの4日間はサーフィンをしながら物件を探しまわった。


ところが、店舗物件がまったく無かった。


仕方なく工場の跡地や倉庫や蔵のような建物に入って聞いてみた。


「すいません、ここ貸してもらえませんか?」十数軒回ったが全部ダメだった。


3週間通ったが誰一人として話すら聞いてくれようとせず閉鎖的な感じが伝わってきたのでその土地は諦めた。


その帰りの事だった。


昔から行きつけの服屋さんに寄って、その経緯を仲の良い店員のお兄さんに話した。


すると、思わぬ展開が待っていた。


「え?店やるの?じゃあ、ここはどう?」と、その服屋さんの目の前のテナントを指差して言った。


でも、どう見てもまだ店舗が営業しているように見えた。


「ここ?だって空いてないじゃん。」


すると、そのお兄さんは言った。


「ここねぇ、もうすぐ空くんだって。聞いてあげようか?」


僕は、昔から通っていたその場所で自分の店を持つ事を想像していなかった。


でも、もしここに入れてもらえるのなら、とてもいい感じになると思った。


「聞いて!聞いて!」


僕は、そう言うと、その場で電話してビルの店舗担当者を呼んでくれた。


僕は、内心『家賃が高くて、きっと無理だろうな。』と思っていた。


しかしビル側の人との話は単刀直入で早く、わずか五分でその場所を貸してくれる事になったのだ。


家賃もとてもいい条件で、これならなんとかなりそうだと即決した。


「奥谷君の知り合いなら問題無いね。じゃあ、すぐに契約書もってくるね。」と、トントン拍子だった。


その場所は、その後退店することが決まっていて、ちょうど次に入るテナントを募集する所だったのだ。


なんて俺はラッキーなんだ。


この店員さんには店の名付け親にもなってもらった。


そして、ここからが波瀾万丈の珍道中が始まっていくのだった。


バリ島家具専門店の準備

ひょんな偶然から店舗が決まった僕は、そのまますぐ近くの旅行会社に行った。


「バリの往復チケットで一番早いの、いつのがありますか?」


椅子に座るなり僕は聞いた。


何をやるのかが決まっていると迷う事が無いので要点だけに集中するようだ。


「一番早い便は、あさってのチケットが御用意できます。」


僕は、すぐに「それ下さい。」と、その場でそのチケットを買った。


バリ島に滞在する期間を五日間にした。


『五日もあれば、家具を仕入れれるだろう。』と判断したのだが、これが大きな誤算だという事にはまだこの時点では気づかない。


この時、もう夜だったので、バリに行く準備は明日1日だけだった。


次の日、僕はバリに行く準備を五分で終わらす事に成功した。


なぜなら、それはリュックサックに最近買ったばかりのマックのノートパソコンとデジカメ。


どちらもまだ使えない。


そして飛行機の中でやるゲーム機のテトリスと計算機だけ。


着替えもバリで買えばいい、と思い用意しなかった。


この時点でバリ島家具屋をやる事を知っている人はほんのわずかで相談すら誰にもしなかった。


今までの友達はもう居ないに等しかったし、新しい友達には内容が大き過ぎた。


でも何よりも過去の甘えていた人生を取り戻すために、すべて一人りでやらないと意味が無いと思っていたからだった。


厚い扉

すぐにその日はやってきた。


飛行場には自分の車に乗って一人で行った。


どうせ5日だし、飛行場の隣にある駐車場に止めて行けばいいと思っていた。


途中、長年心から信頼できる姉のような存在の女友達から携帯電話にメールが入った。


『今日ほど、あなたの事を尊敬できると思った日はないよ。新しい始まりのスタートだね。いつも応援してるよ。』という内容に不意打ちをくらって思わず涙があふれた。


つい最近まで俺はパニック障害に苦しみ誰とも会えず話も出来なかった。


しかし、僕には勇気を与えてくれる友達が居る事に改めて気づかされた。


まだ誰にも僕がパニック障害だった事は言っていない。


『何で俺は友達に頼ってすべてをさらけ出さなかったんだろうと後悔した。』


弱い所を見せたくないという事は結局、自分をよく見せたいという思いが強過ぎるのだ。


偽りの自分を演じれば本当の自分とのギャップに苦しみ、必ずどこかで歪みがくる。


生きづらくなり自分を苦しめる事に繋ががっているのだ。


初めての発作から3年半が経過していた。


何度も発作が起きては辛過ぎて『今日ゆっくり寝たら明日死のう』と思っていた生地獄の日々を振り返った。


『よくここまで頑張ってこれたな。』


しかし、まだ思い出とも呼ぶにはあまりにもつい最近までの出来事だった。


振り返れば、すぐそこに生々しく苦しむ自分が感じられた。


人は、他人と自分を比べたがる生き物だが、本当は他人ではなく『自分の過去と今の自分』を比べれば、どれだけ成長したかが自分で感じられる事に気づいた。


よく耐えた、よく耐えた。


『いつか必ず明かるい世界に戻れる』とどこかで信じていた。


だから俺は何度も独り暗闇で泣きながら這いずりながら頑張れた。


光はどっちだ?闇の中に入ったからこそ、微かな光に敏感になれた。


予想外の恐怖

飛行機が離陸すると俺は急に落ち着かなくなり、『しまった!』と、後悔しはじめた。


何を血迷ったのか、俺は何も知らない、何の知識も無いバリ島家具屋をやろうという思いだけで、この飛行機に乗ってしまった事に今更気づき不安になった。


チケットを買ったのは、おととい。


『一番早い便のチケットを下さい!』と、買ってしまった。


ここまでの自分のしてきた事が突然、バカげた事に感じられた。


『この選択は正しかったのか?』


今まで経験した事の無い、初めて経験する事は『これが正解』という手本がどこにも存在しないので不安だ。


でも、初めて通る道無き道を切り開くには必ず通らねばならない道だった。


不安になるとパニック発作が誘発されてしまいそうになった。


まだ完治した訳ではなかったようだ。


『やばいぞ、ここは飛行機の中、逃げ場がない。』


そう思うと、もういてもたっても居られない不安感に苛まれた。


心臓の音が隣の席に座っていた若い女の子に聞こえてしまうくらい大きく脈打った。


血の気が引き、顔が青ざめていくのが長年の経験で分かった。


俺のパニック障害の発作は、逃げ場が無い、と思える所で起きた。


狭い閉所やトンネルの中やエレベーターなど。


ましてや飛行機なんて、どこに逃げ場所があるのか。


僕は必死で耐えた、『ここまで来てこれか!もう嫌だ!こんな事で左右される人生なんて!もうどうにでもなれ!』人にも会えず、誰にも言えず独りきりで苦しんでいた中、気づいたある事だけを信じ、すぐに動き出してしまったのだった。


三年半の間、『今、ここに集中』という自分にしか分からないようなシンプルな言葉。


この言葉を三年半探していたかのように、それに気づいた時は、今世紀最大の発見にすら思えた。


すべては、この言葉で何とかなる、と思ったからこそ、今こうして飛行機に乗っているはずだった、、、。


しかし、そう簡単にはいかなかった。


『今、ここに集中』しようとしても、どうしても悪い方に意識を向けてしまう。


そういう時には、最終手段だ。


『このままの俺でいいのか?』こう自答自問した。


すると、一番奥にいる僕が答える。


『絶対に嫌だ。』


こうして、僕は冷や汗を流しながら何とかこの場を乗り切ったのだった。


一旦収まるとウソのように意識が『今、ここに集中』できて心が落ち着き安定した。


そして、俺はテトリスを取り出し自分の出したハイスコアーを何度も塗り替えた。


『俺の記録は俺が破る!』


そりゃそうだ、俺しかやらないのだから。


必死でゲームをしていたらバリ島に到着したのだった。


おめでたい奴だった。


向こう側

バリ島に着くと、そこは南国特有の湿度と、熱気、それに香辛料のような独特の匂いが鼻についた。


『いよいよ着いたな』と、ホッと息をついた時だった。


またしても僕の中に不安な気持ちが恐怖となって現れた。


それは、同時に4機の飛行機が到着して空港のゲート内におびただしい人の数を見たからだった。


溢れんばかりの人の行列にパニック障害の発作が起きそうになった。


どこを見ても人、人、人。


逃げる事も隠れる事も、ましてや戻る事すらできない中で僕はまた自分を見失っていった。


逃げ場の無い場面で僕は決まって発作が起こっていた。


なぜだろう?と考えた結果、それまでの生き方に答えを見つける事が出来た。


僕は嫌な事があると決まって逃げていた人生だった。


僕がパニック障害にもがき苦しみながら学んだ事。


それは、『逃げない事』ただひとつ。


暗闇から明るい方へ出るにはどうしても必要な鍵が『逃げない事』だった。


人に嫌われないように偽ったりするのも、『本当の自分から逃げている』という事に繋がっていた。


俺はこの時、『試されてる』と直感した。


逃げないで現実を乗り越える事への最終テストをこのバリの空港で、正真正銘どこにも逃げられない遠い地で試されているようだった。


逃げたくても逃げる事すらできない状況の中、俺は逃げ場の無い地下駐車場の時を思い出していた。


『早くここから出たい!早く早く!』と思ってパニックになっていた自分に嫌気がさした。


すぐに気持ちが逃げ出そうとする自分に腹が立った。


肌の色の違う国の人達は少しでも列が空くとそちらに次々と移動を繰り返しながら、僕は結局数千人いたであろう世界中の人の中で、なんと最後から二番目にやっと空港から外に出れたのだった。


僕は早く出たいという気持ちを抑え、一度も列を移動しなかった。


それが自分に課した決めごとだった。


ゲートの外に出るだけで2時間半もかかってしまったが、最終テストの答え合わせもしっかりとできたような気分で僕にとって必要な出来事でもあったし必要な時間だった。


小さい事で逃げる癖がつくと、それ以上の出来事が起こるたび本来の困難以上に大きく感じてしまう。


こんな些細な出来事から、僕は男に生まれたと思っていたが、男になるために男の身体で生まれただけだという事に気づかされた。


『男とは何か?』という課題もこの時与えられた。


それまで一度も考えた事がなかった。


俺の後にようやく外に出た最後の中国人らしきおばさんは一体今までの人生で、どんな小さな事から逃げだして神様にこの試練をあたえられたのだろう?最後までうろちょろと列を替えていたようだったが、なぜか仲間意識が芽生えた。


飛行機が到着した時にはまだ明るかった神々の島バリ島は、すでに暗闇に包まれていた。

最初の一歩

ようやく空港の外に出る事ができホッとしたのも束の間だった。


あれだけ大勢の人が溢れていたのに、もう誰も居なかった。


宿泊するバリ中のホテルのスタッフがウェルカムボードを手に持ち迎えに来ていて、ワゴン車に乗ってさっさと空港を立ち去っていった。


『さてと、ここからどうしようか。』


まずは、ホテルを決めなくてはならない。


外に出ると、白タクと呼ばれる違法のタクシーの運転手達が代わり代わりに、僕の所に来ては「タクシーあるよ!こっちこっち!」と僕の手を強引にとり連れて行こうとした。


僕は「うるせー!あっち行け!」と日本語でまくし立てた。


が、誰よりも臆病な僕は内心ビクビクでとても怖かった。


一人振り払うと、すぐに次の怪しい白タクの運転手が順番で僕を拉致しようと寄って来た。


一瞬、『あれ?俺バリでCDデビューでもしたっけ?』と思う程人気者だった。


白タクの運転手限定で、だったが。


そんな事を何度も何度も続けていると、それを見兼ねてなのか空港内にある換金所のおばさんが僕の方を見て手招きしている。


僕は怖かったので、とりあえずそのおばさんの所に一旦戻ってはみたが、白タクの悪そうな男達よりはまだましだ、というだけの理由だった。


『どうせこのおばさんも「私の店で換金しろ」とでも、言ってくるんだろうな』と思いながら近づいていった。


すると、そのおばさんが「迎え、誰も、来てない?ホテル、どこ?』と片言の日本語で僕に聞いてきてくれた。


僕は泊まりたいホテル上位3位までのポストカードの中から1枚を選び出して、換金所のおばさんにこう言った。


「ここに泊まりたい。」すると、そのおばさんは換金所の中の電話でホテルに電話してくれた。


するとホテルのフロントスタッフが日本語が少し話せたので、「泊まりたいから迎えに来て」と頼んでみた。


「今から、すぐ行きます。」と言ったのでしばらく換金所のおばさんと、今ひとつ盛り上がりに欠けたが一向に通じない平行線の会話を楽しんだ。


それから待つこと十分程で、そのホテルのスタッフが迎えに来てくれたのだが、見るからにうさん臭い。


「あだちさんですか?」


僕は、「いいえ」と答えたかったが、「はい。」と返事をし、換金所のおばさんに「ありがとう。あ、テレマカシー」と、巧みなインドネシア語でありがとうを言うと、ホテルのうさん臭いスタッフの車に乗り込んだのだ。


やっと空港から離れられると少しだけホッとした。


しかし、運転席側を見ると暗闇の中で真っ黒に日焼けしている満面の笑みでニコニコするホテルスタッフの歯だけが白く光り、より一層怪しく見えて仕方なかった。


「ようこそバリへ。ハムザーです。名前は?」


超軽そうだ。


未知の扉

ホテルのスタッフ、ハムザーはとても人懐っこくて、すぐに意気投合した。


ハムザーは日本語が五割くらい話せるので、意思の疎通や大体の会話は支障なかった。


ハムザーはホテルには直接行かず、バリの街をあちこち車で案内してくれた。


「ねぇ、ハムザー。俺お腹空いた。」と言うと僕を食事に連れて行ってくれた。


行き先は出来たばかりだという大きなショッピングモールの中にあるマクドナルドだった。


『バリに来てマックか。』と一瞬思ったが、ハムザーは、「どうですか?奇麗で大きい建物でしょ!」と自慢げな顔をしている。


ショッピングモールは日本では見た事が無いくらい大きくて天井がとても高かった。


が、ハムザーは日本にはマックが無いと思っているのだろうか?でも、出来たばかりの巨大ショッピングモールに連れて来てくれたというハムザーのその優しさが嬉しかった。


「あだちさん、バリに何しに来たんですか?」と、ハムザーが聞いてきた。


「家具が欲しい。家具。バリの家具。分かる?」


すると、ハムザーは「かく?かくってなんですか?」そうか、家具という言葉は知らないんだ。


「あぁ、そうか、、、えぇと、、、ファニチャー分かる?ファニチャー」僕は、中学時代、誰よりも早く睡眠学習を取り入れた結果が、ここで役にたった。


「おぉ、オッケーオッケー、ファニチャーですね。」とハムザーは言った。


『お!買い付けは楽勝だな。』とこの時思ったが、大いに甘すぎたのだった。


家具探しがどれだけ大変か知らぬままハムザーとマックでバリの夜を楽しんだ。


その時、自分にとって、とても重大な事に気がついた。


『ハムザーといっしょに車に乗れた。』


パニック障害になってから、僕は一人では車に乗れるようになっていたのだが、誰かと一緒に乗る事が恐怖感が一杯になり、どうしても乗る事ができなかったのだ。


誰かが一緒にいると、パニック障害の発作が起きても、一人だけそこから逃げる事はできない、という拘束感からかどうしても無理だったのだ。


でも、今初めて会ったハムザーとは一緒に乗っても平気だった。


このまったく知らない相手と遠い地バリ島で自然に乗れた。


大きなヒントを手に入れた気がした。


この旅は楽しくなりそうな予感がした。


ハムザーは、天真爛漫に片言の日本語で笑いながら、ほぼ意味の分からない話をずっと話していた。


出会い

バリに着いた次の日の朝、僕は一人で家具を探しに出掛けた。


バリに来たのに観光感覚はまったくなく完全に仕事モード。


これはいい傾向だった。


その日、ハムザーはホテルの仕事があるのでガイドは付けないと言っていたが、最初から僕はガイドを頼む気は無かった。


無かったというか、そんなサービスがあるとは知らなかった。


どっちみちすべてを一人だけでやり遂げようと思って来ていたので必要なかった。


しかしこれが大きな誤算だったのだ。


夕方辺りが少し薄暗くなった頃に、僕はトボトボと一人ホテルに帰ってきた。


ホテルの従業員たちが、ニコニコしながらも心配そうに「あだちさん、家具、ありましたか?」と、聞いてきてくれた。


僕が家具屋をやるためにバリに来た事を、もう全員のスタッフは知っていた。


昨日の夜ホテルにチェックインした時にみんなの前でハムザーが伝えていたからだ。


「無かった。家具、どこに売ってるの?」


甘かった。


僕はこの日、とりあえずそこら中を歩いて探しに行ってみた。


かすりもしないので、色んなバリ人に聞いてみたが、日本語が伝わらない人や、知らないと答える人ばかり。


これは、この辺には無いのだ、と思いタクシーに乗り込んだ。


「家具知ってる?ファニチャー分かる?」


すると、必ず「オッケーオッケー」と言うのだが、「どこ行きたい?キンタマーニ?ウブド?」と、まったく伝わっていないどころか、遠い場所に僕を連れていこうとする。


そのたびに僕はすぐタクシーを降りた。


四台乗ってダメだったので、どこか分からないけど最後にタクシーを降りた辺りを歩いて探した。


後で分かったがその辺りはイカットという生地がたくさんある村だった。


それでは家具が見つかるはず無かった。


そして諦めて初日はタクシーでホテルに帰ってきたのだ。


ハムザーは、まだ別の観光客のガイドについていてホテルには居ない。


僕は一人、ロビーでどうしようかと腕組をして考え込んでいた。


『あぁ、俺の考えは甘かったのか?まったく何も知らずにバリまで来たなんてバカのする事なのか?』


すると、一人の女の人が声をかけてきてくれた。


「どうしたん?何か困った事でもあったん?」


その人を見ると、ハーフの顔立ちの綺麗な女の子だった。


「え?、日本人ですか?」とまず聞いた。


「そうや、京都から毎年このホテルに来んねん。」


僕はその女の子に全てを話した。


バリ島家具専門店をやろうと来たけどバリの家具がどこに売ってるのか分からない事や、言葉が通じない事、日程が少ない事まで全てを話した。


すると、思ってもみなかった返事が返ってきた。


「ええ人紹介するわ。もってこいの人が今、このホテルにおんねん。お兄さんラッキーやなぁ」と、ある男の人を紹介してくれたのだ。


これが、奇跡的な出会いになるという事は、この時にはまったく気づかなかった。


京都弁の女の子、実は僕よりも年上のお姉さんだった。


ドイナさん

一旦部屋に戻りシャワーを浴びて再びロビーに行くと、先ほど話した京都から来ているウララさんが居た。


「あぁ、来た来た、この子や。」と、ウララさんの隣に居た、真っ黒の男の人に僕を紹介した。


「この人がさっき話した人や。紹介するわ、ドイナさん。」


僕は驚いた。


『ドイナさん?どこの国の人だろう?』


すると、そのドイナさんは「何も知らんとバリまで来よったんかいな?無茶しよんなぁ~はっはっは、昔の俺と一緒やな。」僕はすかさず「日本人ですか?」と聞いた。


どうもバリ島には国籍不明の人が集まってくるらしい。


僕がバリ島家具専門店をやるために家具を仕入れに来ている、という事をドイナさんはもう知っていた。


ウララさんが話してくれていたようだ。


そして、なぜウララさんが僕にドイナさんを紹介してくれたのか?それは、ドイナさんは大阪で、お店も持って居る貿易関係の会社をしている社長さんだったのだ。


ドイナさんは、ある話を僕にし始めた。


「クワガタ獲ったことある?この前な、大阪城で息子にクワガタ捕まえたろ思ってな、木に蜜塗ったけど、きぃひんかったわ。」


僕は、何を隠そうクワガタ捕りの名手だったので、その場で『クワガタの上手な捕まえ方口座』をした。


すると、ドイナさんは目を輝かせて「よっしゃ!」と、僕にある計画を話し始めた。


これが、バリ島珍道中物語りの始まりだった。


クワガタ捕獲探検隊

ドイナさんの計画。


それは何とバリ島のクワガタを捕まえる、というツアーだった。


遠い場所まで行くので1泊で行くという計画だった。


「そのクワガタ捕りに、一緒に行こうや!そしたら何でも教えてやるわいな。家具仕入れたいんやろ?初心者では何にもできへんで、交換条件や。」とドイナさんは言う。


「いつですか?」と僕は聞いてみた。


『面白そうだけど不安だな、、、』と思った。


知らない人たちと一緒に車に乗って、どこか遠くに行く。


しかも1泊する事が不安だった。


しかし、次の言葉を聞いてホッとではなくガッカリした。


「三日後に出発や。」


『え?三日後?俺の帰国予定日だ!』


僕はすぐに言った。


「僕の帰る日です、その日!」すると、ドイナさんは呆れながら言った。


「何考えてんねん?何日間でバリに来たんや?」


「五日です。」


「五日?ほんま、無茶くちゃやな。わしらプロでも無理やわ。チケット捨てて一緒に行こうや。どっち道五日では無理やで。」


僕は、「え~?どうしよう、、、」と、頭を抱えて考えた。


こんな人を紹介してもらえて、こんな絶好のチャンスはない。


このチャンスを逃したら、家具は仕入れるどころか見つけ出す事すらできないかもしれない。


迷いに迷った、、、


神様はクワガタ捕りの名人の僕にチャンスをくれているのか?それとも僕がまた逃げる方を選ぶのかを試しているのだろうか。


ドイナさんと会ってまだ十分も経っていなかった。


『まだどんな人なのかまったく分からない。信用できる人なのだろうか?』


困った僕は、ふと横を見てウララさんに訪ねた。


「ウララさんも行きますよね?」


すると信じられない言葉が即答で返って来たのだった。


「絶対嫌やわ、行く訳ないやろ。」


バッサリと見捨てられたかのような寂しい気持ちになった。


『これも試練だ。一人で決める事なのだ。』


飛行機のチケットを破り捨てるシーンなんて映画の中の世界だと思っていた。


そんなシチュエーション、一生に一度あるかないか、、、いや、ほぼ無いだろう。


1000人に1人くらいの確率だろうか?


でも、僕はそれを今迫られている。


貴重な体験だ。


1000人に1人か。


奇跡の男かもしれない。


チャンスとは、『これがチャンス』だと気づかなければ、チャンスでも何でも無い『ただの出来事』として処理されてしまうものなのだろう。


しかし、これは確実に分かりやすいチャンスだった。


神様が逃げずに受け入れろ、と教えてくれているようだった。


僕は決断したのだった。


破り捨てたチケット

七万円の片道チケットを破り捨てた僕は、三日後、ドイナさんたちと共に、山奥の村に車を走らせていた。


「ホンマに破ったんかいな?はっはっはっ、よっしゃ!心配すんなや、全部教えたんで。」


ドイナさんは、そう言った。


僕は、あの次の日思い切ってチケットを破り捨てたのだった。


別に破る事は無かったが、今までの悶々としていた自分に決別をしたかったし、新しい扉を開ける時には今まで持っているものを潔く捨てなければ前に進めない、という事を苦しい日々の中で知ったばかりだった。


実際、チケットを破り捨てたその日、願いが通じたのか僕の事を知ったホテルのオーナーの奥さんに僕はホテルの事務室に呼ばれ、こう言われた。


「私たちはあなたに全面的に協力します。ホテルの従業員を使って下さい。」と。


何と言う事だ。


しかもその人は偶然にも日本人だったのだ!


『俺は、なんてラッキーで幸せなんだ!』


クワガタ捕獲探検隊メンバーは、ドイナさんの仕事仲間で、バリ人のカトゥさんの実家に向けて、車二台、総勢八人で舗装されていない、信号も無い山道をひたすら走っていた。


『バリまで来て、クワガタ捕りか、、、俺は何をしに来たんだ?』と、途中考えたが、こんな貴重な経験はなかなかできないだろうと思い、全力で楽しもうと決めた。


『発作が起きたっていい!』


二時間ほど走った時、途中の小さなレストランに立ち寄り昼食をとった。


観光客はおろか、日本人など、絶対に来ないような山奥の村にある小さな町のレストランだった。


メニューを見てもさっぱり分からないが、現地のカトゥさんや、インドネシア語を完璧に操るドイナさんが居るので、安心して僕の昼食のチョイスを任せた。


すると、大きなガラスのボールに並々注がれた水が運ばれて来た。


バリの暑さで喉がカラカラだった僕は、みんなが楽しそうに話をしているスキに、これを真っ先に飲もうと両手で、そのボールを引き寄せ、一気に飲もうと持ち上げた瞬間だった。


「おい!あかんで!」ドイナさんが、それを制した。


「こんな水飲んだら、しまいやで。腹下すだけじゃ済まんで。」


そうだった、バリは水を飲んだらダメだった。


すっかり忘れていた僕は、ドイナさんに、発見されなかったら確実に大量の水を飲むところだった。


それを見て、みんなは爆笑した。


その水は手を洗うための水だった。


どうりで大きいボールだ。


カトゥの子供達も僕を見てケラケラと笑っていた。


見分け

ナシゴレンを食べ終わると、再び山道をひたすら走り続けた。


ナシゴレンは、バリ島では一番ポピュラーな日本でいうチャーハンのような食べ物。


この時食べたナシゴレンは、過去最高に不味かった。


それは、現地の人しか来ない為、味が外国人用にはなっていなかったからだ。


香辛料の味付がとても強烈だった。


でも、お腹がペコペコだった僕は残さず食べた。


僕が運転を買って出た。


新参者の礼儀だと思ったし、元々運転が好きだった。


車は日本車でトヨタのランクルのミッション車。


だが、バリでの呼び名は『キジャン』と言った。


舗装されていない山奥の道は、曲がりくねった細い道。


周りにはジャングルが広がりロケーションは最高だった。


この車には助手席にドイナさん、後ろの席に僕の泊まっているホテルのオーナーの奥さんで日本人の恵美さんと、大阪から遊びに来ていたデザイナーのあっこさんの四人。


「バリで、クワガタ捕まえたろ思ってな、この前カトゥにバリ島のどデカイ、クワガタの写真見せたんや。」と、ドイナさんがクワガタの話題を話し始めた。


「そしたら、カトゥが、こんな虫、ぎょうさん実家の山におるっちゅうからカトゥの実家に決めたんやけどな、気がかりな事があんねん。」


「何ですか?気がかりな事って?」


僕が聞いた。


すると、面白い話をドイナさんがした。


「それがなぁ、この前なカトゥの友達が、その写真と同じクワガタを捕まえたっちゅうんでな、興奮して行って見たらな、小ちゃい小ちゃいカナブンやねん。」


「え?カナブン?何で?」


「バリ人は誰もクワガタに興味が無いねん。日本人みたいに興味が無いもんやさかいクワガタと普通の虫との区別がつきよらんのや。だから、カトゥの言う事も信憑性に掛ける訳や。」


果たしてクワガタは居るのか居ないのか?


クワガタ捕り名人の僕の出番はあるのだろうか?


絶景が癒しになる瞬間

車を走らせる事四時間。


タップリとみんなの自己紹介を聞きタップリと話をしていた。


もう、運命共同体である。


グネグネした山道を抜けると、突然辺り一面目を見張る程、絶景の景色が大パノラマとなって現れた。


車に乗っている全員が話をピタッとやめて息をのんだ。


「わっ!」


あっこさんが声を上げた。


遮るものが何も無く、心がスッーと軽くなる感覚に陥った。


暗闇から苦しみを抜けたばかりの僕が見たその景色は、苦しみを知らずに見た時の景色とは違って映ったはずだった。


今の僕の方が暗闇を知っているだけに、この景色がより鮮やかに見えているはずだった。


その景色が醸し出した感動が徐々に今までの苦しみを癒すように心の一番深い場所に少しずつ浸みていった。


景色を見て涙が溢れ出そうになったのはこの時が初めての経験だった。


心の目で見る景色は確実に僕の心に焼き付いた。


いつでもこの景色を思い出せば癒される。


大トカゲ

山と山に囲まれた盆地にカトゥの実家はあった。


僕はキジャンを停めると思いっきり伸びをした。


もう気分は最高だった。


『何だろう?この感じ。』


ついこの前まで、ゴミゴミした日本でクヨクヨと悩んでいた自分がとてつもなく小さく感じられた。


『俺はミジンコサイズだな。』


この景色がそうさせたのか、澄んだこの空気がそうさせたのだろうか。


カトゥの実家だけでなく、なんと、その村すべての人が全員で出迎えてくれた。


全員と言っても二十人程の小さな村だった。


僕は、そこに住んでいる人たちの目に吸い込まれそうになった。


目が透き通って綺麗な目とは、こういう事だ。


初めて見る純粋過ぎるほど不純物の無い瞳に、遠い懐かしい忘れていた何かが、ボヤ~っと一瞬見えたが、すぐに消えていった。


僕はクワガタの事が気になって、すぐに山に入って行った。


でも、山と言っても日本の山とはだいぶ違っていた。


1本1本の木が太くて木と木の間隔が相当開いていた。


だから歩き易い。


でも、木が太いので、日本でしていたような木登りが簡単にはいかなかった。


蹴っても木が揺れないので、木の上のクワガタを蹴り落とす事ができない。


そして、一番気になっていた事があった。


木の種類が違うのだ。


日本のクワガタの生息する木の種類と、このジャングルに生息する木の種類が全く違うのだった。


『バリでは、この木にクワガタが生息しているのだろうか?』


半信半疑の僕は、それでも足を止めずにどんどんと奥へと入って行った。


次の瞬間、信じられないものが目の前に現れた。


それは、なんとサソリだ。


「サソリ!?これサソリ!?」


思わず、僕と一緒について来ていた村の子供達に思わず日本語で喋ってしまった。


そんな僕を言葉の通じない八歳くらいの男の子が、「スコーピオン」と、教えてくりた。


男の子たちは、怖がる僕をニコニコ無邪気に笑って見ていた。


『何だ、この子たちの曇りの無い目は!』


本当に澄んだ偽りの無い目をしていた。


今まで偽って行きて来た自分と比べて、さらにその澄んだ目が透き通って感じられたのだろうか。


その男の子たちの足元を見て僕はもっとビックリした。


サソリがいるというのに、なんと全員裸足だった。


日本語が通じないと分かりつつも、「足、大丈夫?サソリに刺されないの??」と、みんなの足を指さしながら聞いてみた。


すると、意味は通じたのか、木の樹液に集まっていたサソリを、何の躊躇もなく手掴みで一匹捕まえた。


凄い野生児たちだ。


『良かった、この子達が居てくれて。俺は安心だ。』


三十歳の僕に八歳位の男の子達三人のボディーガードがお供してくれているようだった。


話はできないけど、この三人と一緒に歩いていると、とても楽しかった。


ハムザーと一緒に居る時に似ている感覚だった。


『なんだろうな、この感じ。』


次の木に行くとき、ヘビが出て来た。


ヘビでは僕は驚かない。


ヘビは手掴みでも捕まえる事ができるので怖くはない、と思っていた僕の思いを撤回する瞬間を見た。


男の子の一人が持っていた木の棒でつついたら、なんとサソリの次は本物のコブラだったのだ。


威嚇しているではないか、日本から来た僕を見て。


笑うしか無かった。


「コブラ居るのね、バリって。」


しかし、この子達裸足で大丈夫なのだろうか?この強くて優しい男達に守られて、更に奥へと進んでいったのだったが、もっとビックリする出来事が僕を待ち構えていたのだった。


僕は、細めの木を見つけたので、思いっきり蹴飛ばした。


クワガタがもし木の上に居たら、これで落ちてくる、日本ではいつもやっている捕り方の一つだった。


そしてそれは、一瞬の出来事だった。


蹴った瞬間、何かがドサッと落ちて来たのだが、とにかく大きい何かだった。


僕は一瞬で『猫かな?いや、猫にしては音が大き過ぎる』と思って、その音のする方にサッと目を向けた。


すると、なんとそれは、コモドドラゴン的な、一メートル以上もある大トカゲだったのだ。


過去最高に驚いた。


『ヤバイ、襲われる!』と、思いすぐに逃げた。


でも、その大トカゲもビックリして僕たちの逆方向に逃げていった。


『あ~良かった』と思ったが、なんと子供達は大声を出し村の大人達を呼びながら、その大トカゲを追いかけて走っていったのだ!


信じられない考えられない光景だった。


どういう暮らしぶりをしてるの


?村人達にしたら『食べてやる、』という考え方だったのだ。


近くに居た大人達も、手に空気銃を持って追いかけて行ったのだった。


国が違えば、常識が全く違う、という事を感じた瞬間だった。


本来の人間の原点を見た気がした。


代替案

信じられない光景を見て、カルチャーショックを受けた僕は、その後何本かの木を蹴ったり、木の上にある隙間を見るために、木に登ってその隙間の中にクワガタが居ないかと確かめた。


しかし、クワガタが居る気配がしない。


こりゃ捕れないかもしれないな。


ドイナさんに伝えた方がいいと思って村に戻ろうとするとドイナさん達が後ろからやってきた。


「どうや?捕れたか?」とドイナさんは僕に聞いてきた。


「ここら辺には居ないですよ多分。木が違うんですよ、樹液の匂いも全く違うからクワガタの集まる木とは違いますね。」と、正直に言った。


「あぁ、ホンマぁか、、、。どないしような。」


何とかドイナさんに喜んでもらいたかった僕は、ある案を提案した。


「じゃあ、こうしましょう。大きい白い布団のシーツに白熱灯を当てて、明るくしてクワガタを集めましょう。」


こうして村人達と一緒に、もっと山奥にその罠を仕掛けに行く事になったのだった。


十人程で大きなシーツとロープ、そして発電機を持って山奥にある拓けた場所に歩いた。


山の中に流れる小川を渡ると、すぐ右手側にチョコレートの木がたくさん生えていて辺りに甘い匂いが漂っていた。


村を出て二十五分程でこれまたとても良いロケーションの拓けた場所に出た。


ここで罠を仕掛けて捕れなければ、もうこの辺りにはクワガタは居ないだろう。


僕は背の高い二本の細めの木にシーツをセットする事にした。


周りはうっすらと暗くなり始めていた。


村人たちに指示を出しながら僕たちは和気あいあいと一緒にセットした。


『なんて、素直なまったく人を疑う事を知らない人達なんだ。』


人の目が気になり、人とどう接していいのか分からず悩んでいた日本人の僕から見れば彼らは魅力的な人間に見え羨ましく思った。


彼らと一緒に居るだけで、こっちまで本当の自分で居られた。


思いやりに満ち溢れそれが作られたものではなくピュアそのものだった。


シーツを張り終えると、発電機を回し再び二十五分かけて村に戻った。


また夜中に見に行くのだ。


辺りは一段と暗くなり、何の鳴き声か分からないジャングルにありがちな歌声が一帯に響き渡っていた。


豪華ディナー

辺りが暗くなり知りたくもない何かの合唱が始まった頃、夕食になった。


野外に設けられた特設ダイニングセットは大自然に囲まれて、どんな高級レストランよりも贅沢なロケーションだった。


現地の家庭料理、見ただけでかなり豪華だという事が分かった。


バリの一般家庭の平均収入が日本円で3千円くらいだと言う事を聞いていただけに申し訳ない気分と感謝の気持ちで一杯になった。


食事を食べながら村人たち手作りのバンブーで出来た打楽器で演奏会が始まり、辺り一帯が素晴らしく心地良い時が流れた。


間違いなくあの日、あの場所だけは時間がゆっくり流れていたはずである。


例えようのない初めての感情がこみ上げて来て一気に涙がこぼれそうになった。


村人の心の奇麗な理由が分かったような気がした。


何も壊されていないこの環境と、この夢の時間が心豊かな人を作り上げいるんだ。


疑うという概念がなく、ただひたすらに純粋な人たちは辛く苦しんできた僕の心を時間が経つにつれてどんどん癒していった。


この時を一生忘れないであろう、時がスローになった夢の時間帯だった。


この村に来て、村の人たちに教えられた事。


『あるがままの自分で居る事の素晴らしさ』だった。


長い間忘れていた感覚が徐々に思い出され、辿り着いたのは懐かしいあの感覚。


そうだ、これは子供の時に自分が持っていた感覚と同じだ。


いつから忘れてしまったんだろう。


いつから偽りを覚えてしまったんだろう。


夕食を食べ終わると、村人達の楽器とドイナさんのフォークギターとのセッションが始まり、みんながうっとりとした雰囲気に包まれた。


このまま時が止まればいいと思いながら、僕はこの雰囲気と音色でボロボロになっていた心が息を吹き返すのが分かった。


心を蘇らせるには、心を開かなくてはならない。


こんな大自然の中でピュアな人たちに囲まれて、心を揺さぶる静かで深い音楽を聞いた僕の心は解き放たれていた。


僕がここへ来たのは必然だったように、僕は本来の自分に戻っていった。


スコール

ジャングルでの演奏会は夜中まで続いた。


そして夕方仕掛けた罠を見に行く事になり、仕掛けた時よりも大勢のメンバーで山に入って行った。


途中、バリでは当たり前のスコールに見舞われ、ずぶ濡れになりながらデコボコの道無き道と汚く濁った川をみんなで手を繋ぎながら流されないように必死で渡った。


『こんな川あったっけ?』と思っていると、その川は小さな小川がスコールで一気に水かさが増して、大きめの激流の小川と化していたのだった。


みんなずぶ濡れでゼェゼェと息を切らしていたが、充実感と一体感に包まれていた。


しばらくすると、水銀灯で照らされた夕方に仕掛けた大きな真っ白なシーツが見えて来た。


今回、クワガタ捕りの総指揮を任された俺は、どうだろうか?と期待が高まった。


収穫

心の奇麗な人たちの村を後ろ髪を引かれる思いで後にする時、何とも表現しがたい感覚に包まれた。


結局収穫は、大きな見た事のないチョウチョ1匹だけでクワガタは捕れなかった。


でも、僕たち日本人が忘れてしまっていたものを思い出させてくれた経験こそが大きな収穫になった。


見つかったソファー

バリ島の家具探しは思っていた以上に困難だった。


家具通りという家具屋が密集している通りを見つけ、僕は数日間でその家具通りの200件以上を歩いて見て回った。


でも、僕のイメージしている家具はそこには無かった。


他の家具を作る工場も一人もくもくと見て回った。


『違う、イメージしている家具じゃない。』


バリ家具屋をやると決めた瞬間、鮮明に浮かんできた具体的なソファーのイメージとは、少々かけ離れている。


似てはいるのだが、ちょっとしたニュアンスが違うのだ。


『勝手な俺のイメージだけで、こんなソファーは無いのかな?』と探しながらよく思った。


似ているけど違うソファーは値段も安かった。


でも、違うのだ。


どうしても、イメージしたあのソファーを追い求めてしまう。


妥協するのは簡単だが、本当に僕自身が良いと思えるソファーを仕入れたい。


そんなある日の事、いつものように恵美さんのお言葉に甘えホテルの従業員のハムザーといっしょに家具探しをしている最中だった。


ハムザーの電話が鳴った。


相手は恵美さんだった。


「ハイ、モシモシ、、、エ?ホント?、、、ドコですか?」


ハムザーは僕の方を見てニコッと親指を立てた。


なんと、恵美さんが僕の探しているソファーのイメージにピッタリの家具屋があると知り合いが教えてくれた、という電話だったのだ。


恵美さんは色んな人から家具屋の情報を集めてくれていたのだった。


ハムザーと僕はその家具屋に到着し、店の中に入る前にピンときた。


『あった!!俺の探していたのはこの家具だ!』


中に入る前に一瞬だがチラッと窓から中が見えた瞬間にすぐに分かった。


中に入ると不思議な事に、浮かんで来たソファーがそのままの形でそこにあった。


信じられない気持ちに僕は興奮し、その場でソファーセットを5セットほど買い付けた。


探し求めればそれは見つかる。


途中で諦めて他の物で代用してはいけない。


心により鮮明に描いたものを、人は引き寄せるのだろうか?


値段交渉術

毎朝、ホテルのレストランで朝食を食べながら、ドイナさんのレクチャーを受ける。


その日やるべき事のスケジュールは、ドイナさんのレクチャーを聞いてから自分で決めていった。


ドイナさんの細かなアドバイスをフルに活かしながら僕は買い付けをすすめていった。


値段交渉の方法だけは、自分で考えたやり方があった。


それはまず、欲しい家具を選び「ビジネスプライス」と言ってバリに来てからバリで作ってもらった自分の名刺を渡す。


これは『僕は家具屋をしている業者です、気に入れば今後も取引して行きましょうね。』というアピール。


業者だから値引きを頼むよ、という事だ。


そして値段交渉のテーブルに付く時、最初にファスナーを開けたままのリュックサックに、溢れる程一杯に換金したインドネシアの通貨であるルピアの札束をさり気なく見えるようにテーブルの上に置く。


お金をたっぷり持っている所を相手にアピールするのだ。


イヤらしく見えるが仕事を速くスムーズにし、大きな値引きを誘い出す考えに考えた作戦だった。


ここからが、いよいよ値段交渉の始まりだ。


最初は僕がお金を持っている事を知っているので、足元を見て高い金額を必ず提示してくる。


ここで相手の交渉人の言う通りの金額を支払っていたら、いくらあってもお金が足りない。


そこで僕は相手が提示した金額の10分の1の金額を計算機に表示して相手に何の戸惑いも無く見せる。


勿論、相手がこれでOKする事はないが、堂々としているこちらを『取引に慣れたプロ』と見なしはじめる。


普通は、どうやら相手の提示した金額から、少しずつ値引きしていこうとする値段交渉をしてしまう人が多い。


それが相手側の手口だと気づき、『最初にこちらのペースで交渉をするにはどうしたらいいか?』と考えた作戦だった。


あくまでも、こちらの提示した底からの金額からの値段交渉をスタートさせないと意味が無い。


相手側の提示する高い金額から下げて行く値段交渉では、相手の思う壷だ。


どんどん強気で値段交渉をすすめて、大幅値下げしてこない時は、僕が席を立とうとすると必ず「マッテ、マッテ」と安い金額を提示し始めていく。


相手としてもこちらがお金を持っているのは知っているので、どうしても家具が売りたいはず。


今後の取引をしていけば、その業者も得をするので必死になる。


そして気づけば素人の僕に負けてしまうのだった。


僕が席を立っても相手が引き止めて来ない提示金額が相手側の限界の底値だ。


その時までひたすらそのやり取りを繰り返すだけだった。


僕は安く家具を買いたいのではなく、家具の底値を知りたかったのだ。


実際、いつもこの方法をしていたら、すぐに目利きが出来るようになり、家具の原価が分かるようになっていった。


だが、決まっていつも家具を仕入れた後には、たっぷり過ぎる程のチップをスタッフ達に渡していたので、嫌われる事無く、さらに次からも同じ金額で家具を仕入れる事ができたのだった。


堂々と振る舞う事が大切な時もある事に気づいた。


誰にも自分で何でも決断しなければいけないので、こういう事も学ぶ事ができた。


こういう事で男としての自信もついてきたようだった。


奇跡的な出会い

バリ島家具屋をオープンさせようと思い、乗り込んで来たバリ島家具の仕入れの旅も、いよいよ終盤にさしかかって来た。


その頃の俺のサイクルは、毎朝モーニングを食べながらドイナさんにその日1日のスケジュールを話し、それに対してのアドバイスをもらう。


俺はそのアドバイスを忠実に守りながら仕事をすすめるだけだった。


俺の滞在期間は当初の5日から3週間に延びていた。


2週間経った頃には大量の家具を仕入れていて、ホテルのロビーにも、単品で買った雑貨や小さな家具で溢れていた。


ホテルの従業員達が総出で、買い付けたものを梱包してくれていた。


これは恵美さんのはからいだった。


その作業は連日夜中まで続き、梱包が終わったものはコンテナ会社が朝ホテルに取りに来てくれた。


ソファーやその他の大きい家具は、買い付けた家具屋や工場のレシートをコンテナ会社のスタッフに渡すだけで引き取りに行ってくれるように話がついていた。


もちろんドイナさんがすべて教えてくれたやり方だった。


こんな事、何も知らなかった俺一人だったら、絶対に不可能だった。


そしてもうすぐ滞在3週間という頃、待ちに待ったコンテナがトレーラーに引かれスラバヤとう町から24時間かけてやってきた。


『よし!もうひと頑張りだ!』


自分自身に気合いを入れ、俺はまた1歩前にすすんだ。


『ドイナさんからのアドバイスがなければ何もできていなかったな。』と、毎日そう思っていた。


最初に声をかけてくれた『うららさん』にも感謝していた。


あの時、声をかけてくれなかったら今頃俺は日本に帰っていただろう。


「私たちは全面的に協力します。」と言ってホテル業務があるにも関わらず毎日朝から晩までハムザーをガイドとして付けてくれ、イメージしていた家具の情報を仕入れてくれた恵美さんには、僕の心を支えてもらっていた。


ホテルのロビーでスタッフ全員が毎日梱包の手伝いをしてくれたのも恵美さんのお陰だった。


見えない所での手回しや心遣いに助けられ感謝しきれない程だった。


『なんて俺はラッキーで幸せ者なんだ。』


俺はそのすべての人に感謝していよいよ買い付けたたくさんの家具をコンテナに積み込む手配をしたのだった。


人は勇気を持って行動した時、協力してくれる人が現れるのだろうか?


最後の一人

最後の買い付けからホテルに戻ると我に返った。


俺が来た時には何十人とお客さんが居たホテルには、俺ただ一人が残っていただけだったのだ。


たまたまこの時期すべてのお客さんが日本人だった。


毎晩毎晩みんなでご飯を食べに出かけては色んな話をして全員と仲良くなった。


誰かが日本へ帰る日には、俺も必ずホテルのスタッフと一緒に空港に行き見送った。


満員だったホテルが徐々に寂しくなっていった。


俺が帰る前日にドイナさんは大阪に帰った。


もちろん俺は見送った。


空港でドイナさんは言った。


「ほな、日本でな。」と。


俺は感謝の言葉を伝えたが、ドイナさんは笑って聞いていた。


俺は何かとても寂しい気分になってしまったが、俺にはもう一日ある。


しかも一番大切な日が。


俺は自分を奮い立たせて前を見た。


でも、ホテルに戻る帰りの車でハムザーの運転する車の助手席で堪えきれず泣いてしまった。


ハムザーはそんな俺を何も言わず、そっとしておいてくれた。


3週間俺はバリに滞在したが、感覚で言うと3ヶ月間滞在した感じがしてならない。


濃厚で濃密な毎日は刺激的でずっと覚醒して1日1日を過ごしていた。


夜は毎晩1時間しか寝なかった。


ワクワクし過ぎて眠れなかったのだ。


でも、最後の1日だけはみんなが居なくなった寂しさで眠れなかった。


別れ

そして最終日、俺はハムザーやコンテナ会社のスタッフたち15人程と一緒に買い付けた家具をコンテナに積み込んだのだ。


最後の家具を積み込むのがイヤだった。


『もう、日本へと帰らなければいけない。』


一人旅も、もう終わりが来てしまうと思ったからだった。


コンテナに積み終わり、ハムザーと一緒にご飯を食べた。


しかし、すでに2日前から俺にはお金が無かった、使い切ってしまったのだった。


ハムザーは、こんな俺に何食もご飯をおごってくれたのだった。


ハエの集る地元の住民しか行かない小さくて汚い店だったが、俺はまったく躊躇しなかった。


3週間滞在して、完全に野性化していた。


食べ物にハエがとまっていようが関係なかった。


『生きている!』という実感を強烈に感じる事ができた3週間に、俺は満足していた。


帰国する夜、あれだけ賑やかだったホテルに俺ただ独りだった。


自分の部屋で荷物をまとめていると、とても切ない気分になった。


『こんな経験、2度とできないだろうな。』と、思って部屋に別れを告げてロビーに行くと、ホテルのスタッフが全員で俺を空港まで送ってくれたのだった。


空港に着くと、恵美さんが手紙をくれた。


俺は、涙をこらえながらホテルのスタッフ一人一人と言葉を交わし、重い足取りで空港の中に独り入って行った。


空港の中で荷物検査や搭乗手続きを終え2階に上がって行く途中の窓から外を見ると、まだホテルのスタッフたちが居てくれた。


俺は、思い切り手を振った。


寂しさがこみ上げて、みんなが見えなくなると思わず涙がこぼれ落ちた。


ボタボタとこぼれる涙をどうする事も出来なかった。


飛行機は夜中の1時に名古屋に向けて飛び立った。


人はまばらで、飛行機の中はガラーンとした感じで空席だらけだった。


俺はずっとバリに来てからの事を自然に思い出していた。


夢じゃないか?と何度も何度も思った。


こんな出来事が待って居るとは知らず、計画性も無いままバリ行きのチケットを買った俺の行動は最初は間違えていると思ったが、あのタイミングでしか、このありがたい出来事は起こらなかった。


『本当に俺は恵まれている幸せ者だな』と思った。


落ち着いた時、恵美さんからの手紙を読んだ。


“足立君、最初はどうなる事か心配したけど、何とかなったね。足立君の行動力に感動して、何とか力になりたいと思って私も毎日がとても楽しかったです。ありがとうね。お店頑張ってね!”


手紙を読むと、また熱いものがこみ上げた。


この短くも長い期間に、これだけの出会いと経験が出来た事に感謝した。


そして俺は知らぬ間に深い眠りに吸い込まれていった。


楽しい事にも、やがて終わりがくる。


でも、それは次への始まりでもある。


>第五章「バリ島家具専門店の開業、そして。」につづく


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Hiroshi Adachi

足立博


中学中退という異例の経歴を持つ「小卒社長」。2000年にバリ島家具のフルオーダー専門店ROBIN、2004年にCANDy BLOODを開業。同時にインターネットマーケティングを学び各リアル店舗事業を成功させる。
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