パニック障害の発作とトラウマ、そして原因/足立博ヒストリー~小卒が社長になるまで~第三章

小卒が社長になるまで。第三章「パニック障害の発作とトラウマ、そして原因」

トラックドライバーになった僕は、ちょっとしたカルチャーショックを受けていた。


こんなにも楽な仕事があるのか!?しかも、手取り三十万円以上も給料がもらえるなんて!今までやって来た仕事は何だったんだ?と、後悔にも似た感覚に陥り、トラックの中で歌を唄いながらご機嫌の毎日をおくった。


交差点で隣に停まった運転手から冷ややかな視線だけ気をつけながら歌の練習に励んだのだった。


その結果、苦手だった歌がとても上達し結婚式に呼ばれると必ず歌を唄ってと言われるようになった。


『トラックの運転手になると、歌が上達するなんて知らなかった。発見だなこりゃ。』


朝は早く、六時からの仕事だったが、午後三時には仕事が終わる。


しかも、トラックに乗って、工場に荷物を届けると、リフトでその荷物を降ろしてくれるのだ。


力仕事をしていた僕には、楽過ぎる仕事だった。


そして、その後運送業を自営にする事になって行ったのだが、それが僕を大いに苦しめる事になるとは、この時にはまだ何も知らず、ただただ黙々と、、、歌を唄い続けていた。


その後運送業を自営する機会に恵まれた僕は、その運送会社を退社し運送業をやり始めた。


でもこれが良かったのか悪かったのか、その数年後に僕の心と身体を蝕んでいく事になる波乱の人生の幕開けになるのだった。


悶々とする毎日

自営業をやり始めた僕は、それまでの倍以上にお金がたくさん入って来た。


企業と自分で交渉して年俸制にしてもらい、それを12で割った額を毎月僕の口座に振り込まれて来る。


毎月五十万円の貯金をしても、まだまだ手元に二十万円以上が残った。


仕事内容も今までやって来た仕事の中でもダントツで楽だった。


お金とは、苦労してしか手に入らないものだとばかり思っていたけど、そんな事はまったく無いと知った。


自営業とは、こういうものなのかと痛感した。


世間の事や、お金の発生する仕組みを何も知らず、今まで通り雇われていたら、と思うと自営業をして本当に良かったと思った。


この時はまだ恐ろしい事に繋がって居るとは思ってもいなかった。


仕事内容は、朝の八時から始まって、朝の十時半に午前の部は終わり、午後からは一時から始まり、午後三時半に終わる。


毎日の仕事時間は計五時間ほどだった。


でも、この仕事がどんどん僕を苦しめていったのだった。


その後、何年間もこんな楽な仕事が続いた。


相変わらず脳天気に歌の練習は続いた。


お金も貯まってさぞ幸せで楽しいだけの毎日かと思いきや、まったく違ったのだった。


何一つ不自由な事は無いのに、何年も前から少しずつ僕の中に悶々としたものが少しずつ見え隠れし始めていた。


それはやがて完全に僕の心を占領して常に心が霞み、何をやるにもその悶々が気になるような状態になっていった。


そんな真夏のある日、暗闇の中に僕を閉じ込める事になる恐ろしい出来事が僕を襲ったのだった。


黒い八月の記憶とパニック障害の発作

僕は、その日いつもと同じ午前10時半に午前の部の仕事が終わった。


近所の喫茶店で早めのランチを食べ、アイスコーヒーを飲んだ。


一旦家に帰り、午後十二時五十五分、僕は午後からの仕事をするため家を出た。


当時、毎日悶々としていた事が、その日はいつも以上に重苦しい感じがしていた。


それがサインだった。


僕はそのまま車を走らせ、もう少しで会社という最終の左カーブを曲がった時だった。


急に強烈な不安感が身体を走り抜けた。


次の瞬間、僕の身体は突然、底が抜けたような感覚のあと、僕の目の前が突然暗闇に包まれた。


真夏の炎天下のはずなのに一気に寒気が身体を包み、僕は経験した事の無い激しい発作が全身を駆け巡った。


急にガタガタ震えだした体をどうする事も出来ない。


前に走る車に突っ込みそうになり急ブレーキをかけた。


『なんだ!?これは!?』


僕は奈落の底に落ちたような恐怖感に襲われた。


踏んだブレーキが、いつもの感覚と違い微調整がまるで利かない。


僕の体は踏ん張る事ができず前につんのめったほど強烈にブレーキを踏んでいた。


一瞬にして冷や汗がどっと溢れ出し、激しい動悸とめまいが同時に起こった。


真っ暗闇の中で僕は『死んでしまう!』と思った。


幸いにして会社の近くだったので、視界は真っ暗闇だったが事故を起こす事無く会社の駐車場にトラックを滑り込ませた。


すぐにトラックから飛び降りたが、全身にビッショリと汗をかいているのに、僕の体は寒くて震えていた。


顔面は蒼白で血の気を失っていた。


やがて僕の目の前が少しずつ光が戻り真夏の炎天下、外はこれ以上なく明るかった。


それが、僕の最初のパニック発作だったのだ。


でも、まだこれはほんの入り口で、もっと深い暗闇が僕を待っていた。


ここから僕の生地獄生活が三年半もの間続く事になった。


今思い出してみても、僕の人生で一番辛く厳しい、そして頑張った時期だった。


パニック障害

パニック発作に襲われた僕は、それがパニック発作とは知らなかった。


何か恐ろしい病気だという事は分かっていた。


本当に死ぬと思っていた。


僕は午後からの仕事を休み、自分の身体に何が起こったんだろうかと自分の部屋の中で考えていた。


あまりの衝撃的な出来事に、まだ体が震えていた。


だが、突然嘘のようにすっかり落ち着きを取り戻した。


さっきの何か分からない発作で起こった恐怖感がウソのように治まっていた。


完全に平常心だった。


『これなら午後からの仕事も大丈夫だ。』と、もう一度家を出ようとした時だった。


またさっきの発作が再び僕を襲った。


『またか!』と、僕は、その場でしゃがみ込んだ。


目の前の視界が外側から真っ暗になった。


それと同時に心臓の鼓動が一気に上がる。


一回一回の鼓動がとても強く脈打った。


真夏の暑さの中、なぜだか身体に寒気が走り身体が震え出す。


堪えきれない震えはどうする事も出来なかった。


どこかに逃げ出したい!という衝動にかられ、まさにパニック状態。


『死んでしまう!』と思いながらただただ暗闇の中耐えるしかなかった。


10分程で再び平常心に戻ったが、『このままでは生きて行けない』と冷静に思った。


あんな症状が続けば死んでしまう。


いつ起こるのかも分からないし、あの恐怖感は何度も耐えられない。


僕は『何という病気なんだろう?』ここ最近ずっと続いている無気力感が原因なのだろうな、そう思った。


病名や本当の原因までは分からない。


でも、過去に何か原因があるのでは無いか、と自分の過去に疑いを向けた。


過去に何か衝撃的な事を目の当たりにして、その記憶が抑圧されていて、それが爆発したのではないか、と信じた。


『思い出せないトラウマが何かあるんだ』と僕は結論付けた。


パニック障害と過去のトラウマ探し

母がパートの仕事から帰ってきた。


僕はすぐ母に詰め寄った。


「俺の過去に何か発作やトラウマになるような出来事はなかった?隠さず言ってくれ!」


必死だった。


そんな僕を見た事がなかった母は驚き困惑していた。


『何かこの子に大変な事が起こっている』という事は分かったようで、「何でそんな事を聞くの?」とだけ答えた。


「いいから早く!」


切羽詰まった様子の僕に母は『うーん、、、』と片手をアゴに当て、買い物帰りのおばさんたちがよくやる定番のポーズで考えてから言った。


「思い当たる事は何も無いよ、、、何かあったかなぁ、、、」


『本当に無いのだろうか?』


何か隠してるのではないかと僕は母を疑った。


「本当の事を言えよ!何も無い!?何かあるだろ!?」


母はさらに考えていたが、「何も無いと思う。」と答えた。


信じられなかった。


何で、僕の夜中に起こるあの恐怖体験の事を言わないんだろう?あんな事があっても気にならないのだろうか?それとも思い出せないのだろうか?母は何か隠して居るのでは無いか?


時間だけが過ぎた。


父も帰ってきた。


『もう、こんな時間なんだ、、、』


すでに夜の10時を回っていた。


パニック障害と過去のトラウマ探し~親の目の前で~

父も交えて、話し合いが続いた。


僕は言いたくなかったがようやく昼にあったあの発作の話を両親にした。


できれば心配するので隠しておきたかった。


でも、あの発作がいつ起こるのか分からないので、親には隠し通せないと判断したのだった。


その頃はまだ実家に住んで居たので、隠し切れなかっただろう。


話すと母は何か根深い問題がある、と言ったがその原因までは分からない。


『本当に何も隠してはいないのか?』


ずっと疑っていたが、母は何かを隠している様子ではない様子だ。


父も腕を組んでずっと考えたり、思い出したりしていた。


すると、あの発作がまた起きたのだった。


前兆は震えだった。


突然体が何度か震え出していた。


母もそれに気づき「寒いの?」と僕に聞いた。


この時真夏8月の熱帯夜。


寒いはずが無いのに震え出す。


その後、またあの嫌な感覚が容赦なく僕を暗闇の世界に引きづり込んだ。


僕は両親の前で発作を起こすのは絶対に嫌だったが、突然スイッチが入ったように、意識が現実世界から引き離され、非現実の世界のようだ。


もう起こってしまったものはどうしようもなかった。


「また来た。」とだけ僕は二人に言って知らせた。


すぐに分かった様子で母は動揺した様子で息遣いが激しくなって肩で呼吸して立ち上がりこっちを見ていた。


きっと両手は口に当てていただろう。


おばさんが驚いた時によくやるポーズのはずだ。


父は、「何をしたらいい?」と聞いて来たので、僕は歯を食いしばり身体中を震わせながら、早口で「何もしなくていい。」と言った。


「何もしないでいいんだな?」と言って二人は僕を見守った。


立て膝をついた僕はその日三度目の発作をただひたすら耐えるしかなかった。


『きっと死ぬんだな俺は』


耐えながら、非現実の世界の中そう思った。


歯がすり減るようにギシギシという音だけが僕の頭の中で響いていた。


パニック障害と過去のトラウマ探し~生地獄生活開始~

僕は眠る事無く次の日の朝を迎えると、地元で一番大きな病院に行った。


でも、正直次の日が僕に来るとは思っていなかった。


本当に僕は発作で死ぬと思っていた。


病院に行くのが大変な困難だった。


車に乗るだけで、昨日の事が思い出され怖いのだ。


脈拍が上がり息が詰まる感じに包まれた。


もうすでにトラウマになっていたのだった。


『そりゃそうか。あんな強烈な発作なんだから当たり前だな。』


でも、病院に行かなければならなかった。


自分が何の病気なのかが分からなければ不安な気持ちがずっと続くだろう。


病名を聞くのは怖いが、早く治療しないといけない!という直感があった。


とりあえず早く病名を知りたい一心で車に乗り、また発作が起こるのではないか?と、ビクビクしながら病院に急いだ。


病院までは十五分。


その間、何度も信号で停まるのだが、停まるたびに恐ろしかった。


『昨日のあの発作が起こったら?』と考えずにはいられなかった。


すると、すぐに身体に反応する。


心臓の鼓動がさらに早くなり、頭がカッと熱くなるのだが、身体はなぜだか急激に寒くなる、という不思議な症状だった。


不安感が徐々にピークになり、やがてそれが恐怖感に変わる。


『逃げ出さなきゃ!』と、その場から逃げられない、という錯覚に襲われた。


車から降りて走り出したい衝動にかられる。


もう、それを抑えるのに必死だった。


『今まで俺のして来た事のしっぺ返しだ。帳尻が合うようにこの世はできているんだなきっと。』


と、考えると出るわ出るわ、今まで僕のして来たあんな事こんな事。


自分から告白しておいて、いざ付き合う寸前に嫌になって冷たい態度をとってしまった女の子がたくさん居る事。


万引きをゲーム感覚でしていた事。


中学時代、親とは一切口を聞かず、反抗し続け家出を繰り返し、散々心配をかけて、挙句のはてには教護院に入った事。


小さい時から母に叱られると、その腹いせを妹にぶつけて、いつも妹を泣かせていた事。


気にいらない奴が居れば、みんなで無視した事。


僕を信じてくれていた人を裏切ってしまった事。


どれが原因なんだろう?どれもが原因なんだろうな。


この時はそう思っていた。


パニック障害と過去のトラウマ探し~反省の時代~

何とか必死に耐えて、病院についた僕は、生まれて初めて精神科に行った。


この抵抗感はなんだ?まさか、俺がくる事になるとは今まで予想すらした事がなかった。


順番を待つ僕は、椅子に座りまわりの人達を見渡した。


『どんな人達がここにはくるのだろう?』


僕が少々驚いたのは、みんな一見すると普通の人達ばかりだった。


今まで僕は精神科に通う人を、自分とは違う世界に住む人達だと誤解していた事に気づき反省した。


僕は診察までの間、なぜ発作に襲われたのか考えてみた。


「足立さん。足立博さん、お入り下さい。」


約1時間後、ようやく僕の名前が呼ばれ診察室に入って行った。


先生は僕を見て、慣れた感じでカウンセリングが始まった。


「どうしたの?どんな事が気になる?何か思い当たる事ある?」


僕は昨日起こった事を説明した。


先生はまったく動揺もせず、ただ僕の話を平常心で聞いていた。


そして、すぐにこう言った。


「不安神経症ですね。またの名をパニック障害って言われてる最近認知され始めて来た病気です。」


と、慣れた感じが僕をホッとさせた。


何やら凄い病になったとばかり思っていたからだ。


「パニック障害?治りますか?」


僕は先生にそう質問すると返事を待った。


答えを聞くのが怖かった。


治らない病気だったらどうしようと不安だった。


「クスリ飲んでいけば、治る病気です。でも、クスリだけでは根本的な治療にはならないので自分を変える事も必要です。」と、言われた。


僕はこの時にある決断を一瞬でしたのだった。


それは、クスリを飲まずに自分の力だけで治す事だった。


ここからが、本当の地獄の始まりだったのだ。


パニック障害の治療と離れていった友達

クスリを飲まずに治すと誓った僕の理論はこうだ。


クスリとは対症療法なので症状が出たらそれをクスリで抑えるか、その症状を先回りして、出ないようにごまかすだけだと思ったのだ。


なんの解決法でもなく、クスリが無いと生きていけない依存心が芽生えてしまいそうだ。


いざクスリを止める段階になると、それが怖くてまたパニック発作を引き起こす。


『薬を飲まずにどうしたら治るのか?』


それは、原因を突き止めて、根本的な解決をしなければならないだろう。


原因が分かれば何かいい方法も見つるかもしれない。


途方も暮れる作業をしなければならないと思ったが薬では完治しない。


考え方を変えなければ根本的な解決はしないのだ。


薬を飲まずに治してやろうと決意したのだが、これが大変な困難を極めた。


パニック発作は一度発作が起こると、その状況に関連したものがすべて怖くなる。


例えば僕の場合、車に乗っていた時に発作が起こったので、まず車に乗ることが困難になった。


それだけではない。


真夏だったのでトラックの車内は冷房が効いていた。


この時のエアコンの温度とエアコンの匂いもパニック発作の引き金になっていった。


更には、車の中イコール『密閉した空間』のすべてが僕にとって恐怖の場所に変化した。


エレベーターや地下鉄も恐怖で乗る事が一切できなくなった。


更にパニック状態を誰にも見られたく無い、という思いが強くて誰とも会えなくなってしまった。


これが一番辛かった。


友達に会う事ができないのだ。


それまでの僕は毎日必ず友達と一緒に遊び、休みの日にはサーフィンや冬にはスノーボードをしていた。


友達という存在が僕の中ではとても大きな重要な位置を占めていた。


友達あっての人生だった。


その友達に怖くて会う事ができないのだ。


毎日必ず誰かが遊ぼうと誘ってくれた。


その友達たちのせっかくの誘いに罪悪感を感じながら断り続けた。


それは、本当に辛い事で胸が痛んだ。


『違うんだ!違うんだよ!いつか訳を話す時がくると思うから!ごめん、、、』


毎日毎日断り続けたので、一人また一人と僕を誘ってくれる友達が次々に減っていきやがては誰も来なくなってしまった。


『友達が居なくなってしまった。』


寂しいけど、ホッとした。


僕は、友達に迷惑をかけたくなかったので、自分から孤独の道を選んだのだったが、僕の心は痛くて悲鳴をあげていた。


パニック障害と戦う夜

独りになっても発作は治まらなかった。


仕事は自営業なので休むと収入が無くなる。


最初の四日間だけ休み、仕事を続けた。


でも、トラックに乗っていてパニック発作が起きたので、トラックに乗る前から恐怖で心臓が激しく脈打つ状態から毎日が始まった。


それは本当に辛い恐怖感との戦いだった。


仕事中に信号で停まるたびにいちいち怖くなって発作が起きる。


『あぁ、本当にこれで治るのかな?自己流でいいのかな?』と、何度となく自分の決めた事を疑った。


毎日独りで誰とも話をする事無く1日が過ぎていった。


家に帰ると気を紛らわすために、毎日ファミコンをやり続けた。


夜になると、恐怖感がピークになってしまい、どうせ寝れないので朝方までやり続けるのだったが、そんな自分に嫌気がさして何度も何度も癇癪を起こしてはファミコンのソフトをテレビ画面に投げつけては、使えなくなってしまったソフトが何本もあった。


恥ずかしい事に何度も布団に顔を押し付け声を押し殺して泣いた。


『俺は何やってるんだ!なんでこんな事になったんだ!?』


受け入れられない僕が居た。


眠れない日々が何日も何週間も何ヶ月も続いた。


『このままで大丈夫だろうか?』


気がおかしくなると思った。


ただ、たっぷりと時間だけはあるので内省をひたすら繰り返す事ができた。


『あの悪夢は僕に何を気づかせようとしているのだろう?』ウトウトするとうなされて「わぁー!!」と飛び起きた事もあった。


見る夢は決まって高い所から落ちそうで、ぶら下がっている夢だった。


僕は夜と眠る事が怖かった。


パニック障害の原因

僕はパニック障害を克服した人の体験談の本をずっと探していたが、どこの本屋に行っても1冊も無かった。


パニック障害がまだ知られていない時代なので仕方ないが、そのたびに僕は『俺が絶対に克服して、悩んでいる人のために体験記を書いてやる!』そう思った。


本が無いので自分でパニック障害になぜなったのか考え続けていた末に、気づき始めた事が二つあった。


人それぞれだと思うが、僕の場合の一つ目は『逃げ出した事』の数々だった。


やるべき事でも少しでも嫌になったら途中で投げ出し逃げた事や、やりたい事でも不安があると立ち向かわず逃げ出してしまった事。


とにかく3日坊主で好きな事しか続かなかった。


逃げるという行為そのものが自分の首を絞める事に繋がるなるのではないか?という事だ。


二つ目は、偽りの自分だった。


発作が起こる6ヶ月程前まで、僕には彼女が居たのだがその彼女に二股をかけられていた事が分かり、一度は別れた。


でも、その相手と別れたと言って、再び戻って来たのだった。


ここで受け入れてはダメだったのだが、自分を選んでくれた事が嬉しくて受け入れてしまったのだったが、これがいけなかった。


その彼女は結局、もう一人の男と上手く行かなくなると僕の方に来ていただけだった。


もう一人の男の態度次第で彼女の態度も変わっていたのだが、そうとは知らない僕は、突然素っ気ない態度をとる彼女に気に振り回され、その彼女が望むであろう男を演出し始めた。


でも、それがとても疲れて精神的に参っていった。


偽りの自分が嫌いになり始めた。


結局、その彼女の正体を知り、別れたのだがすでにボロボロになり、その頃からどうやら人間不信に陥り、誰の前でも気に入られようとする変な自分がいた事に気づいたのだ。


相手に合わせ過ぎる自分がとても嫌だった。


『逃げる自分と偽りの自分』


この二つがパニック発作の引き金だと思った。


ようやく『これだ!』という原因を見つけた気がした。


パニック障害の克服~変わる理由~

どん底の今こそ、自分を変える一番のチャンスだ。


ようやく自分なりの原因を突き止める事ができたので、変わる理由が見つかった。


これなら自分で納得して変わる努力ができると思い、どんな小さな事でも自分で決めた事を続けていった。


どれもひとつひとつをとって見れば簡単な事ばかりなのに、やり続ける事は思った以上に大変な事だった。


でも、やるしかなかった。


逃げ出さず、最後までやり遂げる事は、今まで身につけるチャンスがあったのにそれを嫌になったからとか不安だからと、回避してきて身につけてこなかった自分が悪いのだ。


そのツケが今、回ってきているんだ。


過去にやってきた事が今現れているだけだ。


ここで乗り越えなければ僕はこのままダメになる。


そう思ってやるしかなかった。


くる日もくる日もそれは続いた。


やがて僕は続ける事が自信を取り戻す鍵になる事に気づき、1年間毎日必ずジョギングをする事を目標にした。


この時の決まりは『雨が降っても雪が降っても台風が来ても必ず走る』にした。


雨が降った日は休み、なんて中途半端な事をしていたら今までの分が取り戻せない。


甘えて来た自分に自信とは自らを信じると書いて自信だ。


自信が無いという事は、自分を信じてない事に他ならない。


ならば自分で立てた自分との約束を守る事こそが自信に繋がると考えての事だった。


それまでの自分は、どんな事も簡単に途中で止めてしまう人間だった。


ここで変われないなら、一生変われないだろう。


何年か前に『変わりたい』と思っていた時に、自分で決めた事が守れず甘えて来た罰だ。

パニック障害の克服~試練の毎日~

自分でやると決めた事は、どんな事も率先してやっていった。


途中で投げ出す事を積み重ねると、自信の無い人間になるという持論を持ったら、『なんで今、俺はこれをやらなければいけないか?』という質問に対する答えが明確になった。


こんなにも自分自身が納得して課題に取り組めるようになるとは想像していなかった。


目的がハッキリとしていれば人は迷う事無く立ち向かえる、という事も学ぶ事ができた。


友達も居ないので、遊びにも行かず毎日集中して自己改善に100%力を注ぐ事ができた。


友達が居たら出来なかっただろう。


そもそも掘り下げて考える事をしなかったと思うので、自分でやると決めた事をやり遂げる事が大事で、それこそが自分を変える事に繋がっている道なんだ。


と気づけただけで独りになれたのも結果的に良かったのかもしれない。


もう一つこれと平行してやろうとしていた事があった。


それはトラックに乗っていて信号待ちと渋滞に遭遇した時に『逃げない事』だった。


僕にとっての信号待ちと渋滞は“死”を意識した。


まったく意味が分からないと思うけど、『パニック発作が起きて次こそは死んでしまう!』とイチイチ思ってしまう。


思わずにはいられなかった。


交差点の手前でまず身体に変調が起こる。


信号が赤に替わった途端、まず頭のこめかみと首筋がカーッと熱くなり同時に脈拍が一気にドクドクと5倍くらい強くて早くなる。


この時の思考は『やばいやばい!ダメだダメだ!』と焦ってその後パニック発作が起こる。


パニック発作の最中は、経験した人にしか分からない事なのだろうが意識が遠のき視界がスーッと暗くて狭くなり、いてもたっても居られず、まさにパニック状態になってしまう。


渋滞に巻き込まれた時は、これが最高潮に達してしまうのでそこはもう別世界。


誰もが両手にソフトクリームを持っているようなロマンチックでメルヘンな世界なら何度でも嬉しいけど、そこは暗い闇の生き地獄。


恐ろしい世界で生きた心地がしない僕は、何度も何度も渋滞中の道は回避した。


信号が赤になったら車間距離をたっぷりとり、車が完全には静止しない状態にしたのだ。


『何やってるんだ俺は!こんな事だからいけないんだ!』と自分が嫌になる。


それでも立ち向かう事が怖くてなかなかできなかった。



パニック障害の克服~自己流のリハビリ~

僕はその後、少しずつ逃げたい気持ちを抑え込み、少しだけ渋滞している道なら逃げなくなっていった。


すると、徐々にコツを掴んでいったのだ。


これは自分で実践しながらでしか絶対に分からない事だった。


『百聞は一見にしかずとはこの事か。』


自分の目で確かめてみるしかない事が、この世にはたくさんあるだろう。


それをやらずに手に入れるなんて無理なのだ。


やがて僕は渋滞中の道もほとんど平気になっていった。


ここまで到達するのに、実に1年以上の期間を要していた。


しかし、どうしても怖くて出来ない事がまだたくさんあった。


電車に乗る事と、トンネルの渋滞が怖くて試す事すらできていなかった事。


でも、何とか克服したい!という思いが強かったので、まずは車に焦点を絞りトンネルの渋滞にハマってみようと決意する日が来た。


『よし!まんまとハマってやるぞ!待ってろトンネル!』


決心した僕は、大渋滞する日曜日の昼間に繁華街にある某有名デパートの地下駐車場にトラックではなく乗用車で入って行った。


すると!、、、


とてもスムーズに車を駐車する事ができたのだった。


『はっはっは、渋滞の奴め、恐れをなして逃げて行ったか。』という余裕は一切なかった。


『決戦は帰りか。』と、僕は一旦車を止めてデパ地下の試食コーナーで食事をしようと思ったが、罰が当たると思い夕方まで人間観察をして時間を潰した。


『よし。そろそろだ。』と、車に乗ったのが夕方の4時半だった。


地下二階に車を駐車したのだが、今のところその階は渋滞していなかった。


それでも僕は不安な気持ちが押し寄せて来ていた。


『どうせ、出口付近は渋滞してるんでしょ?』と、早く駐車場から出たいとドキドキしながら出口へと車を走らせた。


すると出口から30メートルくらい手前辺りから渋滞していた。


出口までは見えないが、車の数でいったら10台ほどの渋滞だろう。


『思ったより少ないな。プチ渋滞か。』


僕の車は渋滞の最後尾につけた。


不安だった。


ハンドルを握り直すと手が汗ばんでいた。


初めてのパニック発作からちょうど3年が経過した同じ8月。


エアコンからは冷えた風が僕に当たっていた。


以前は、エアコンの風だけでフラッシュバックして発作になる事もしばしばあった。


『大丈夫、大丈夫。』


脈拍が少々早くなっただけで他に身体には変調は無い。


右にぐるっとカーブした所に出口がある。


その時だった。


僕の車の後ろに1台が走って来た。


それをバックミラーで見ていた僕は、急に焦り始めた。


突然恐怖感に包まれ一気にパニック発作が僕を襲った。


『あぁ!ダメだ!!』


僕は、後ろにさがろうとバックギヤに入れてバックしようとした。


すると後ろの車が慌ててクラクションを鳴らした。


『プップー!!』


地下駐車場にその音はとても大きく響きこだました。


焦っている僕はどうする事も出来ず、ギヤを元のドライブに入れ直した。


次々に後ろから車が来てズラーっと並んだ。


それを見た僕は『もうダメだ!』と心の中で思った。


その瞬間、初めての事が僕に起こった。


『もうどうにでもなれ!逃げる事ができないなら現実を見ろ!』と、逃げるのをやめた瞬間、覚悟が決まった。


一瞬にしてあれだけ早かった心臓の音が急ブレーキを踏んだように、突然ゆっくりになった。


徐々にではなく突然だった。


パニック障害になって3年経って初めて手応えのある光明だった。


『やった、、、。これだ。逃げずに現実を見る事だ。』


確かな手応えに僕は確信した。


『もう、どうにでもなれ!』と、開き直って覚悟すると、ウソのように症状が消えていく、という事を知った。


怖いながらも続けていったからこそ、それを体験できた。


今までの僕なら嫌な事からは逃げて来ただろう。


そういう怠慢さがダメな人間を形成していく事も学んだ。


普通の人なら1歩で行ける所を、山ひとつ超えるくらい大回りした感じだった。


でも、あの時の僕にはそうするしか学ぶ事ができなかったのだろう。


駐車場の出口までの間、完全に平常心でリラックスしていられた事が、それまでの人生で一番嬉しいと感じた。


普通の人なら普通にできてあたりまえの事が手に入り心から幸せに思った。


幸せは自分の中にあるもので、見つけるものでもなく探すものでもなく、気づく事なんだ。


ようやくここまで辿り着いた自分に問いかけた。


『このままでいいのか?これがゴールなのか?』


行動する事ができるようになって、次は自分自身が本当にやりたいと思える事をやりたい!しかし、ここからもまだ最後の苦しみがいくつも待っていたのだった。


>第四章「パニック障害の克服とバリ島家具専門店」へつづく


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“パニック障害の発作とトラウマ、そして原因/足立博ヒストリー~小卒が社長になるまで~第三章” への1件のフィードバック

  1. より:

    パニック障害で車の運転が出来ずに悩んでいますが、とても参考になりました。足立さんのような努力が出来るか分かりませんが、出来ることから少しずつやっていきたいです。

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Hiroshi Adachi

足立博


中学中退という異例の経歴を持つ「小卒社長」。2000年にバリ島家具のフルオーダー専門店ROBIN、2004年にCANDy BLOODを開業。同時にインターネットマーケティングを学び各リアル店舗事業を成功させる。
>足立博プロフィール・経歴


物販事業経営者、アフィリエイター、マーケッターが集まるHiroshi Adachiのブログの運営を開始。クリエイターとしての活動の傍らマーケティングアフィリエイターとして情報発信中
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