コピーライティング講座。ストーリーテリングの法則、物語の書き方。
足立です。
これは7、8年前の話です。
それは僕が初めて「親知らず」を抜いた日の話なのですが、たかだか「親知らず」が大変な状況を引き起こし、僕は口腔外科に救急車で運ばれる寸前までいってしまいました。
それ以前から僕には、痛みもないその「親知らず」がありました。
しかし、その親知らずがある日突然痛み出し、あまりの激痛に食事もする事が出来なくなってしまったのです。
そんな痛みが数日続いたので、僕は重い腰を上げ大嫌いな歯医者に行きました。
歯医者の待合室のソファーに座ると共に「やっとこの痛みから解放される」と、僕は安堵感に包まれました。
僕の名前が呼ばれたので、僕は診察室へと入っていきました。
僕は大きく口を開き、麻酔を何本も打たれた僕。
いよいよその親知らずを抜く時が来ました。
しかし、僕の親知らずはなかなか抜く事ができませんでした。
親知らずをペンチのような道具で掴んで引っこ抜こうとすると、ペンチが滑り僕の口の中に勢いよく当たり口の中はそこら中が切れてしまいました。
歯からペンチが滑らないように先生がペンチを持つ手に力を入れると、今度は親知らずがバキバキに折れてしまいました。
三十分経っても四十分経っても一向に抜ける気配すら感じるどころか、最後にはペンチで掴む歯が完全に全部折れてしまいました。
そして、挙げ句の果てに僕の麻酔が切れ始めてしまったのです。
僕の口の中はそこら中が切れているので、大量に出血していました。
口の中に溜まる唾液と一緒にバキュームで吸い出す時の管がずっと真っ赤でした。
先生は汗びっしょりで、焦っている様子が、その先生の手の震えで僕にも伝わって来ます。
先生だけでなく助手の女の子も明らかに動揺している様子です。
先生と歯科助手がダブルで動揺する姿を見てしまった僕は絶望的な気持ちです。
それはまるで飛行機が揺れた時にスチュワーデスが動揺している姿を見てしまった時と同じくらい絶望的な気分でした。
結局、親知らずは抜けず最後の手段で歯茎を切って、横側から親知らずを掘り出す事になってしまったのです。
それでも抜けなければ口腔外科に救急車で搬送する事になると、汗びっしょりで先生は言いました。
僕は不安を通り越し恐怖を感じ、それまで以上に手を強く握りしめ自分の爪が手のひらに食い込んでいくのが分かりました。
口を大きく開きっ放しなので顎の痛みも限界を超えていました。
そして、歯茎をメスで切った瞬間、あまりの激痛で僕はとっさに顔を大きく動かしてしまい、先生は持っていたメスを慌てて僕の口から引き出しました。
危うくメスで口の中がズタズタに切れてしまうところでしたが、歯茎を切った切り口から生温かい血が大量に溢れ出てくるのが分かりました。
僕の麻酔が切れている事に先生が気付き、今切ったばかりの歯茎の切り口に、すぐさま麻酔が打たれたのですが、その麻酔の注射が痛過ぎて先生を蹴り飛ばしてやろうかと一瞬思いました。
でも、歯科助手の女の子が可愛かったので、そこはなんとか踏み止まる事ができました(笑)
ようやく麻酔が効き始め、僕は少しホッとしました。
そして、やっとの思いで僕の親知らずは抜く事ができたのです。
その時を境に僕は親知らずの痛みに苦しめられる事は無くなり、それまで通りの「快適な毎日」をようやく手に入れる事が出来たのでした。
コピーライティング講座。ストーリーテリングの法則、物語の書き方。
いかがでしたでしょうか。僕の文章は正直、そこまで「上手い」と言えるような文章ではありません。
ただそれでも、僕の「緊張感」や「不安感」、そして僕が感じていた「痛み」は、少なからずあなたの身に起こっているように感じられたのではないでしょうか。
無論、これは僕が実際に体験した出来事です。
心に残る出来事というのは、こうして物語となって人の心に記憶されているのです。
今回は、この「物語」というものの書き方について書いていきたいと思い、まずは僕なりのソレを1つの例文として挙げさせて頂きました。
物語の書き方。
すなわちストーリーテリングというやつです。
この「ストーリーテリング」とは、伝えたい思いや物事を、それを想起させる印象的な体験談やエピソードなどの“物語”を引用することによって、聞き手に強く印象付ける手法のことを言います。
人は物語を読んだり聞いたりすると、自分の人生と照らし合わせ擬似体験しながらその物語の世界に入っていきます。
先ほどの僕の物語を例に挙げるなら、あなたはまるで自分が親知らずを抜いているような、そんな気分になったのではないでしょうか。
それこそがまさに「擬似体験」というものなのです。
人が経験した事を、まるで自分が経験した事のように感じるわけです。
では何故、人はこんな擬似体験をするのかと言うと、人は本能的に「生きている」という実感や安心感を得たいという潜在意識を持っている為だと言われています。
人は誰もが一歩先の未来の事を100%予測する事が出来ていない為、そこには少なからず「不安」というものを持っています。
だからこそ、誰もがその一歩先の未来を潜在的に「予測」すると共に、その未来を「知りたい」と思っているのです。
そのような潜在意識がある中で、「物語」というものに疑似体験的な感覚を覚えると、人はどうしてもその結末が知りたくなります。
それがイメージ力に繋がり、集中力に繋がり、どんどんその文章の中にのめり込んでいくのです。
それがまさにコピーライティングの世界で言う「反応」を引き出す大きな引き金となっていきます。
その疑似体験による反応を引き出していく手法が、物語というものを駆使したストーリーテリングという手法なんですね。
ストーリーテリングと僕のブログ。
僕のこのブログでは、その「物語」を、あなたを含めた多くの人に向かって書いている事が多々あります。ただ物語を伝えるには、それを伝える側の「伝え方」にその全てが委ねられています。
伝え方が悪ければ、人はその物語に引き込まれる事なく擬似体験する事はできません。
それでは、物語でもなんでも無くなってしまいます。
物語を書く時にに文章が破綻していては相手に伝わりません。
そのため、論理的な文章を書いていくのは大前提なのですが、人を強烈に引き込む物語を書く時には論理的な文章を書くだけではいけないのです。
物語と言うと、何か大きな映画や本の中に出てくる話のように感じるかもしれませんが、決してそういう訳ではありません。
面白いかどうかは別として、短い話でも原因と結果が描かれていれば僕は物語だと思います。
先ほど僕が書いた歯医者で親知らずを抜いた話も物語です。
あの程度でも物語になるのです。
あの物語にも少しは引き込まれたのでは無いでしょうか?
それは、なぜかと言うと引き込む物語には法則があるのです。
言わばこれがストーリーテリングの法則というもの。
では、そのストーリーテリングの法則をここから少し書いてみようと思います。
読み手を引き込む物語のストーリーテリングの法則は「山」と「谷」がある話というのが1つのセオリーです。
そして最後には「成功」を手にするという物語がベター。
主人公が、山あり谷ありの人生の中で、困難を乗り越えて成長しながら最後には成功する。
何だかんだでこういう「ベタな話」が、人を強烈に引き込む事ができるわけです。
それは何故か。
理由は簡単です。
人は誰もが自分の人生がそうありたいと願っているからです。
人は見たい夢を見せてくれる物語に共感する。
これこそがまさにストーリーテリングにおける法則・・・いえ、鉄則と言ってもいいかもしれません。
ストーリーテリングの法則における物語の王道。
そんなストーリーテリングの法則における物語の王道とも言えるものがあります。それはこういう流れのストーリーです。
旅立ち → 困難 → 克服 → 成功
シンプルに言えば、たったこれだけ。
小説、映画、漫画、などなど、大ヒットを記録するものの多くは大抵このストーリーテリングの法則に沿って物語が描かれています。
勿論それが長編小説や2時間の映画となると「困難」の部分に該当するシーンやその「克服」に該当するシーンが幾度と出てきます。
ただ、大筋で見ると「旅立ち」と「成功」の間にその「困難」と「克服」のシーンが連続的に構成されているに過ぎません。
日本で大ヒットしたアニメや漫画では「ドラゴンボール」「ワンピース」などは、まさにこのストーリーテリングの法則の王道中の王道を貫いた展開になっていると思います。
アメリカ映画のヒット作などは、もっと解り易くこのストーリーテリングの王道法則が展開されていますね。
要するにこのような物語の展開が上手に描かれていれば、読み手は潜在的にその物語の中に引き込まれてしまうようになっているわけです。
現に先ほどの僕の親知らずの話も、この法則に当てはめて書いてあります。
最初は、平凡な日常から、歯が痛み、その歯を抜き、最後には歯の痛みが消える、というストーリーです。
流れを解説するとこういう感じです。
歯が痛くない日常(旅立ち) ↓ 歯が痛み出すという(困難) ↓ それを克服しようと行動を起こし歯医者に行く(克服) ↓ 親知らずがなかなか抜けず麻酔も切れる(困難) ↓ 切開して親知らずを抜きやっとの思いでする(克服) ↓ 快適な日常を手に入れる(成功) |
まさに先ほどのストーリーテリングの王道法則に沿って物語が書いてありますよね?
下手なりに「山あり谷あり」の物語になっている事がお分かり頂けるかと思います。
この事から、物語には「山あり谷ありのストーリー展開」を考える事が読み手を引き込む大きなポイントになります。
この山がもっと高く、谷がもっと深く、困難と克服の高低差があればある程、物語はもっと面白いものになり、読み手を強烈に引き込む事ができます。
上り詰めた絶頂の山だけの話や、落ち込んでいく谷だけの話では、自分のそれまでの人生と比べ違い過ぎて共通の土台が無いので共感する事ができません。
失敗を繰り返し、やがてそれが実を結ぶストーリーや、身近な人の死を乗り越え、やがて良い出会いがあり幸せを掴むストーリーに人は引き込まれるのです。
何も起こらない平凡な話も誰も共感する人はいません。
上るか下りるかの話に人は共感し、自分の人生を投影したいのです。
引き込まれる物語には必ず展開があるはずです。
成長という名の展開や、成功という名の展開や、その逆もまた展開です。
どうなっていくのか?に、共感したいので時間の経過が伴う展開が無ければ物語は成り立ちません。
動きが必要です。
例えば、『AさんとBさんが居ました。』終わり。
こんな話を物語とは言いませんし、共感も擬似体験する事もできません。
時間の経過が無いので、そこに展開が生まれないのです。
ストーリーテリングの法則に学ぶ人生の教訓。
では最後にこのストーリーテリングの法則に学ぶ人生の教訓のような事を書いて終わりにしたいと思います。この物語の法則を、自分の人生に当てはめてみて下さい。
旅立ち → 困難 → 克服 → 困難 → 克服 ・・・ 成功
人の人生というものは、ほぼ例外なくこの法則が当てはまるものです。
この法則を繰り返しながら人は人生を送っている事が分かると思います。
だから、人は物語に引き込まれるのです。
あなたの人生という名の物語で、今のあなたはこの法則の中のどこに居ますか?
困難の最中なら、必ず克服できるチャンスがあります。
諦めてはいけません。
最後には必ず克服して成功を掴むことができるという事が、この法則で証明されています。
諦めてはいけません。
僕も、この法則をもう3回繰り返して今の僕があります。
そしてまだまだ困難は訪れると思っています。
自分が今、「成功している」なんて思ってませんから。
でもその困難を乗り越えて乗り越えて・・・その先に成功があると思うから一歩一歩進んでいけるのだと思います。
成功は「果たすもの」では無く「抱き続ける希望」なのです。
夢も希望も無い人生なんて、詰まらないですからね。
でも、きっと人生の終わりを迎える時に「自分の人生、悪くなかったな。」と思える瞬間があれば、その瞬間こそが「成功」を感じられる時なのではないかと思います。
ただ、その「いつの日か」に、自分自身が心からそう思えるように、毎日を希望に胸を膨らませて前進していかなければいけないと思います。
悔いだけは残らない人生を送れるように。
それではまた次回。
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タグ:ストーリーテリング, ストーリーテリング 法則, 物語の書き方
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